そして、ふたりは知る





懐かしいような、それでいてまったく知らない匂いがする。

そんなふうに感じるのは二度目のことだった。

を最後に抱き締めたのはその一度目のとき。

あれからもう、3年の月日が流れた。

言い方を変えれば、ここまでくるのに3年もの時間を費やしてしまった。

“幼馴染み”って言うと、そこに甘酸っぱいものがあるように思われがちだけど、

そんなものは一切ない。

少なくとも、俺との場合、ない。

きっともそう思っていたに違いない。

俺にとっては家族に限りなく近い、そこに在ることが当たり前の存在だった。

それでも俺は、一度だけから離れようとしたことがある。

12歳の春、俺は思春期というとてつもなく厄介で微妙な時代を迎えていた。

誰といるよりもといることが安らぎ、それでいて苛立ち、疎ましい。

そんなことを思う自分を持て余して、どうすれば良いのか分からなかった。

今まで何の違和感なく受け入れていたとの距離感を俺は初めて意識し、戸惑ったのだ。

「おい、お前中学ではあんま話しかけんなよ」

その言葉が幼い俺の精一杯の答えだった。

「なんでよ」

「……色々と面倒だろ?」

「別に」

「俺は面倒なんだよ」

苛立って返した言葉をは「あぁ、孝介もお年頃だもんねー」と笑って流した。

コイツ分かってて言ってるのか?

だったらそんな格好で俺のベッドに寝てんな。

真新しい制服が皺になるのも短いスカートが捲れ上がってるのも気にせず

無防備に寛いでいるに握っているプレステのコントローラーを投げ付けたくなった。

の無防備さも然ることながら、

俺を自分よりもお子様だと認識しているかのような口振りが癪に障った。

確かに、一足先に思春期の渦に飲み込まれたであろう

俺のように作用を露にするようなことはなかったが、

それでも常に一緒にいたのだから俺達は当然同じラインに立っていると考えていた。

「まぁ、孝介がそうしたいならそれで良いよ」

そのとき俺は既に自分の結論に疑問と後悔の念を抱いていたが、

こういう性格が災いして素直に前言撤回することは出来なかった。

更にカッコ悪いことに、自分で言っておきながら俺はついついに声を掛けてしまい、

何度となく勝手に気まずい思いをした。

俺とは逆に、はとても自然に俺の提案を実行した。

普段通りに俺を名前で呼んでいたし、

忘れ物をすれば借りに俺の教室まで顔を出したし、

部活で帰りが同刻だから一緒に帰っていた。

それでも必要以上の親密さを醸し出さない巧妙さがあった。

俺はショックだった。

のそつのなさが俺よりも大人だと物語っているように俺には思えた。

廊下で、階段で、校庭で、ふと見かけるの横顔は知らない人間のようだった。

少女とも女性ともいえない、成熟の予兆が漂う面差し。

俺は焦燥と苛立ちに苛まれて、バランスを保てなくなっていった。

それが爆発したのは初めての中間考査を控え、

野球部の連中と投げやりな試験勉強をしていた放課後のことだった。

「やっぱいちばん可愛いのは3組の小川さんじゃね?」

「なんか女の子ーって感じで良いよな」

「え、俺パス」

俺の言葉にみんなからブーイングが上がり、「じゃあお前誰が良いんだよ」と返された。

「別に、興味ねぇ」

つーか、そろそろマジで勉強しねぇとやべーだろって続けようとしたら、

同じクラスでよく一緒にいる奴がとんでもないことを言い出した。

「そういえば泉、うちのマネジと仲良くね? もしかして付き合ってんの?」

あっけにとられ口をぽかんと開けたまま固まった。

“幼馴染み”って言うと、そこに甘酸っぱいものがあるように思われがちだけど、

そんなものは一切ない。

少なくとも、俺との場合、ない。

それなのにどうしてそんな勘違いを生むのだ。

衝撃的な一言に俺が言葉を失っていると話は思わぬ方向に転がっていった。

「え、泉、と付き合ってんの?!」

「マジで?! 俺、さんちょっと狙ってたのにー」

「告って玉砕した奴いるらしいじゃん。お前そうなる前に知っといて良かったなー」

俺はぎょっとした。

狙ってた……?

告白……?

アイツのどこが良いんだ。

ベッドでごろごろしながら俺のジャンプ読むんだぞ。

蹴ると教科書の詰まった鞄で思いっきり背中叩いてくるんだぞ。

バイオハザードやると「失せろ」って呟きながらボタン連打するんだぞ。

数学は破壊的に駄目で俺の汚いノートそのまま写してるんだぞ。

すべてをぶちまけてみんなの眼を覚ましてやりたいと思った。

けれど俺のいない場所で覗かせているあの横顔が頭の中で交錯して、

次々に浮かぶ言葉は結局声にならなかった。

って泉の幼馴染みだろ?」

同じ小学校だった奴の一言に周りが一瞬静まる。

「あ、そういえば浜田先輩もそんなこと言ってたな」

「なーんだ、つまんねーの」

俺は誤解が解けたことに安堵しつつも、

せっかく黙っていたとの関係性をあっけなく暴露されて密かに舌打ちした。

「家がお隣さんなんだよな」

「……まぁ」

「良いなぁ、泉。俺の幼馴染みなんて黄色い声で文句ばっかでさ、鬱陶しいったらねーよ」

は綺麗だし、大人っぽいっつーか……」

「なんか雰囲気あるよな」

「そうそう!」

「つーか、さんが隣の家に住んでるとか美味しくね?」

「うわ、それ分かる。なんか興奮するよな」

「あ、って細い割に結構胸あんの知ってる?」

「お前練習中どこ見てんだよー」

「だってさー……っ!」

緊張感が走った静寂のなか、俺の隣の机と椅子が倒れていた。

右足が遅れてじんわりと痛み始めて気付いた。

俺が蹴り倒したのだ。



「お前ら黙れよ」



言葉がするりと滑り落ちた。

自分のものじゃないような冷たい声には軽蔑が込められていた。

こんなの軽く流せば済むことだって分かってた。

けど、を汚されたみたいで、不快で堪らなくて、俺はどうしても許せなかった。

「俺の幼馴染み、そういうふうに見ないでくんない?」

静まり返ったなか、鞄に勉強道具を突っ込んで席を立つと、

前触れもなく部室のドアが開いて全員の視線がそちらに集まった。

「孝介」

タイミング悪くそこに立っていたのはで、

何も知らないアイツは「やっぱここにいたんだ」と暢気に室内へ入ってきた。

「みんな勉強会してたんだ? 捗ってる?」

青褪めた顔で凍り付いていたみんながどうすれば良いのか困惑して視線を投げ合う。

「……?」

ただならぬ空気には首を傾げ、眼で尋ねてきた。

俺を見つめるは綺麗なままで、俺の大切なもので、

俺はをここから今すぐ攫いたいという激しい衝動に駆られた。

、帰るぞ」

の手を掴むと何もかも振り切るように俺は黙々と歩いた。

混沌した心が煩わしかった。

幾重にも重なった感情に潰されそうだった。

自分の心が見えない。

霧の中でひとり置いてけぼりにされたような。

それでも、こんな俺にもたったひとつだけ分かる。

強く、深く、願う。

大人しく俺に手を引かれたまま半歩後ろを歩いていたに眼をやると、

視線を感じ取ってがこちらを見た。

コイツを誰にも奪われたくない。

コイツを絶対に失いたくない。

初めて芽生えた感情は手に負えないほど狂暴で、俺はその手を引いてを抱き締めた。

の身体は思っていたよりもずっと華奢で、柔らかで、

コイツってこんなんだっけ?、とぼんやり思った。

「……どうしたの?」

は落ち着いた声でそう一言尋ねただけだった。

俺よりもずっとは大人だった。

からは懐かしいような、それでいてまったく知らない匂いがした。

「なんでもねーよ」

俺は泣きそうな気持ちで、思春期なんてさっさと終わってしまえ、と思った。

そうして俺達は元の居場所に戻っていった。

離れるだなんて最初から無謀な試みだったのだ。

俺があんな不用意な発言をした所為か、

俺達はあっというまに完成されたふたりとして認識されるようになった。

だから中学3年間、本当は男子から人気があったに彼氏が出来なかったのは

俺の所為だったと思う。

そして俺はまたそのことに甘んじて安心しきってしまった。

を失うことなんて決してないと信じて。

あのとき芽生えた感情について考えることをやめてしまったのだ。

でも、今なら分かる。

「ねぇ」

の唇が触れている部分から響くように、くぐもった声で呼ばれる。

「ん?」

「孝介ってこんな匂いだったっけ?」

「……さぁな」

俺は少し笑って、共に生きることを誓ったばかりの女を抱き締める腕に力を込めた。

この腕のなかにあるものを絶対に失わないように。



そして、ふたりはやっとこれを恋だと知る。



























































SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送