そして、ふたりは誓う





“幼馴染み”って言うと、そこに甘酸っぱいものがあるように思われがちだけど、

そんなものは一切ない。

少なくとも、あたしと孝介の場合、ない。

それなのに皆はあたしたちの自然過ぎる睦まじさに眼を細め、

なんだか祝福の言葉みたいに「仲良いんだな」とか言って笑う。

絶対に何かを勘違いしていると思う。

そんな淡いものを秘めてるなんて大いなる勘違いで、

現実は日常に密接し過ぎていて幻想を抱く隙間すらない。

例えば寝起きのだらしない顔、欠伸する間抜けな顔、くしゃみする直前の不細工な顔。

他人の前でだったら繕うそういうものも遠慮なく曝す。

幼馴染みなんて言うなれば家族に限りなく近い存在だ。

きっと同じベッドに一緒に寝ても襲わない・襲われないという認識が互いにある。

だって距離が近過ぎる。

だからあたしは、もしかして孝介が好きかもしれないという事実に打ちのめされた。

最初はアレ?なんかおかしいぞ?、くらいなもんだった。

夏の大会で好成績を収めた野球部は急に人気が出て、

グラウンドには女の子たちの声援が飛び交うようになった。

その黄色い声の中には孝介の名前もあった。

しかもかなりの比率で。

最初はぎょっとした。

孝介は可愛らしい顔立ちの割に随分男らしい性格だ。

だからカワイイにもカッコイイにも属することが出来なくて

今まで女の子の人気を集めたことはない。

更に言えば、あの捻くれた表現方法の所為で

「泉くんって冷たい」と女の子に苦手意識を持たれることも少なくなかった。

だからこのモテようはなんなのだと眼の前の光景を疑った。

けれどやっと孝介が男として女の子たちに認められる日が訪れたんだと思うと

今日はお赤飯炊かなくっちゃ、って気分になった。

それがあたしの心を軋ませるようになっていったのはいつからだろう。

もしかして本当ははじめからそうだったのかもしれない。

孝介は「応援はありがたいけどちょっとうるさい」なんて口では言っていたけれど、

お年頃の男の子が女の子にキャーキャー言われて嬉しくない訳がないし、

きっとあの女の子たちの中の誰かと付き合ったりするんだろうなぁとあたしは思った。

「泉くん!」と呼ぶ可愛らしいその声があたしに現実を突き付け、揺さぶった。

無論、いつかどっちかに、もしくはどっちにも恋人が出来て、

一緒にいることも少なくなっていくんだろうなぁと未来を想像することもあった。

それは幼馴染みの宿命のようなものだ。

けれど想像が現実に近付くと思っていた以上にあたしを取り乱せた。

女の子たちが孝介を囲む光景を見ると、

あたしは自分が一体どこにいるのか分からなくなりそうだった。

孝介の隣に自分以外の女がいるだなんて。

そこは自分の居場所だと信じて疑わなかった。

隣に孝介がいてくれなければ、あたしは自分の存在を証明出来ない。

それが何を物語っているのか、考えれば自ずと出てくる答えだった。

「でも、やっぱり俄かに信じがたい」

孝介の無防備な寝顔眺めながらひとりごちる。

もしかしてあたしは孝介のことが好きかもしれない、と気付いて一週間。

「恋で悩んでて何も手が付かないんだよねー」だなんて口走る同級生を、

何を乙女ぶっているんだと冷めた眼で見てたくせに、

不覚にもあたしは“恋で悩んでて何も手が付かない”状態に成り果てていた。

今日の授業も上の空。

ついに教師の逆鱗に触れて課題を出されてしまった。

放課後、長いお説教の締め括りに渡された分厚いプリントの束を抱え教室に戻ると、

孝介が呆れた顔で出迎えた。

「ばーか」

「あはははは……」

「お前、それ終わんのかよ」

「無理。これ数学だもん、絶対に終わんない」

「ふーん。まぁ、精々頑張るんだな」

「そんな冷たいこと言わないで孝介手伝ってよ。今日はちょうど部活休みなことですし」

「なんで週に一度の貴重な休みに数学の課題なんか付き合わなきゃいけないんだよ」

「とか言いながら手伝ってくれる優しい孝介が好きだよ」

「そんな優しい孝介くんに今週のジャンプを奢ってくれるが好きだよ」

「……」

「……」

「うっぜ」

「きもー」

そんなやりとりをして帰宅。

その10分後には当たり前のようにノックもせずあたしの部屋に入ってきた孝介、

そして当たり前のように机に分厚いプリントの束と新刊のジャンプを並べたあたしがいた。

これだから幼馴染みってほんと恐ろしい。

そう、距離が近過ぎるのだ。

あたしのベッドで眠る孝介のほっぺを突付いてみた。

僅かに眉を顰めただけで眼を覚ます気配はない。

あたしが孝介に尋ねなくても解けるようになってくると

孝介はあたしのベッドに遠慮なく寝転がってジャンプを読み出し、

結局そのまま眠りに落ちてしまった。

なんの違和感もない光景。

こんなに近い距離にいて恋も何もないだろう、って思う。

意識する余白がないのにどうやって恋をするのだ。

あたしが孝介を好きだなんてありえない、と全身全霊で否定してみた。

でも、やっぱりコイツがいなかったらあたしは駄目だろうな、と予感する。

どうやって自分を認識すれば良いのか分からなくなる。

隣には孝介、それがアイデンティティとして確立してしまっている。

これ以上行き着く場所はないとしても、

あたしにとって孝介が必要な事実は捻じ曲げることの出来ぬものだ。

長い睫毛に引っ掛かった孝介の前髪を掻き上げてやると、

柔らかな夕陽に照らされた額がそこにあって、

あたしはとても自然な成り行きで唇を落とした。

孝介が好きだ、と思った。

そしてこんなの冗談じゃない、と思って少しだけ笑った。

「ホラ、孝介、そろそろ起きて。もう夕方だよ?」

肩を揺すって声を掛ける。

孝介は顔を歪めて唸り声を上げ、逃れるように身をくねらせた。

「ねぇ孝介、起きて?」

肩を掴んだ手に少し力を込めると、薄く眼が開いた。

ゆっくりと瞼が上がっていき、焦点の合わない寝惚け眼があたしを捉える。

だらしがない顔だなぁ、と苦笑いする。

可笑しいとかじゃなくて、馴染みきっていることに。

孝介は手を突いて身体を起こし、瞬きを数回。

また、あたしを見つめる。



「おはよ、孝介」



「お前、俺と結婚すれば?」



あたしの世界が一瞬止まった。

孝介はじっとあたしを見つめたまま。

「こうす、け……?」

「俺と結婚して」

「……」

「……」

「……」

「……なんで黙るんだよ」

ただ、言葉が出てこないだけなんだよ。

「だって……」

孝介から眼を逸らして俯く。

だって、どうしてそうなるのか分からない。

まさか孝介があたしに恋してました、だなんてことはありえない。

これだけは自信を持って言える。

絶対にない。

じゃあ、孝介はどうしてそんなこと言うのだろう。

分からない。

しばらく沈黙が続いた。

橙色の部屋で、あたしは自分の心臓の音に耳を澄ましていた。

スプリングが軋み、こつんと肩に孝介の頭が預けられる。

「嫌なの?」

ぽつりと言葉が宙に放たれた。

少しだけ震えているように感じた。

「違う……けど、孝介が分からない」

「俺も、分かんねぇ」

「なに、それ……」

「ただ……」

孝介の頭が肩から離れる。

顔を上げてそちらを向くと、いつもあたしの姿を刻んできた眼がそこにあって、

あたしは孝介と結婚しようと思った。

「お前とずっと一緒にいたい」

「あたしもだよ」

「俺、お前がいないとどうすれば良いのか分かんねぇよ」

「あたしもだよ」

「俺にはが必要なんだ」

「あたしもだよ」

少しだけ泣きそうだと思った。

でも、孝介が「なんだよ、俺と同じじゃん」って言うから、

あたしは「孝介があたしと同じなんでしょ。マネすんなよ」って返して、

ちょっとの間の後、ふたりして笑った。

孝介のまだ日焼けが残る腕が伸びてきて、あたしを抱き竦める。

「好きだ」

「それ先に言ってよ」

孝介の背中に腕を回して呟いた。



そして、ふたりは共に生きることを誓う。



























































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