怪談噺





「きのこで悪かったな」

昼休み、食事を終えてひとり静かに読書でもしようと屋上へやってきた。

フェンスを背にして座り込み、ページを捲って行を眼で追おうとした矢先、

「お、あいかわらずきのこだねー」と頭上から女の声が降ってきた。

俺の静かな時間が奪われるという確信に近い予感。

声がした方を見上げると太陽が眩しくて、額に手を翳して眼を細める。

まぁ、姿なんて見えなくてもあんなこと俺に言う女はこの学校でただひとりなのだけれど。

彼女は鉄パイプの梯子を途中まで降りると、軽やかにそこから飛び降りた。

「アンタ、スカートでそーいうことしますか? 思いっきりパンツ見えましたよ」

彼女は然して気にしていない様子で「あ、そういえばスカートだっけー」と笑った。

「女のクセに恥じらいもないのかよ」

「あ、差別! 謝りなさいよ」

「気の強い女は嫌われますよ、先輩」

「君、あいかわらず生意気だね。そんなんだから彼女も出来ないんだよ」

煩い、アンタこそあいかわらずじゃないか、と思ったけど

これ以上口を開くと面倒なことになるから言わなかった。

だって先輩は転校してきて早々、

あの跡部さんに「アンタ、何様なの?」と言い放ったとんでもない女なのだ。

しかしそれは跡部さんのストライクゾーンど真ん中だったらしい。

跡部さんが口説き続けてもう一年以上が経つが

この人は全く靡かなかったどころかつい最近まで他の男と付き合っていた。

それでもいまだに諦めていないのだから跡部さんもある意味すごい。

典型的な逃げられるほど追い駆けたくなるタイプなのだろう。

俺にはこんな煩い女のどこがそんなに良いのか理解出来ない。

しかもこの人はそんな跡部さんを「なんか面白い」などと言って

適当にあしらいながら仲良くしているのだ。

俺はこんな女絶対に嫌だ。

「ねぇ、何読んでんの?」

さっさと立ち去って欲しかったのに先輩は隣に座ってきた。

やっぱり……。

さっきまでの予感がこの瞬間完全な確信に変わった。

先輩が俺の手元を覗き込む。

俺の頬を柔らかな髪が擽る。

「ちょっと、くっつかないでくれませんか」

「えーと……怪談もの?」

「アンタ聞いてますか?」

「うわー、あいかわらず陰湿っぷり発揮してるね」

誰かこの女をどこかに連れ去ってくれ、今すぐに。

俺は思わず溜息を吐いた。

「別に俺が何読もうが勝手だろ」

「もっと爽やかなの読みなよ。恋愛小説とか」

「これも一応恋愛ものですよ」

「え?!」

「日吉が恋愛小説? いや、ありえないありえない」とか呟いて先輩が爆笑する。

恋愛小説を読めとか言っておきながらその反応はなんなんだよ。

「恋愛小説だとは一言も言ってませんよ」

「だって恋愛ものって言ったじゃない」

「だけど怪談です。有名な話なんですけど知らないんですか?」

「うん、知らない。でも、うらめしや〜ってやつなんでしょ?」

「主人公が恋人に裏切られて自害するんですよ」

「あ、そうなんだ。怪談っていうより情熱的な女の恋物語なんだね」

「情熱的って言えば聞こえは良いですけどこんな強烈な女、俺はごめんです」

「えー? 日吉のタイプって感じするけど」

まぁ、確かに古風で一途な女は俺の好みではあるけど、でもこの主人公は論外だ。

「この女、恋人を怨みながら死んで、成仏出来ずに結局恋人を呪い殺すんですよ」

「……あはははは!」

先輩が白い脚をバタバタと振って笑い転げる。

俺に寄り掛かってきたから「どけよ、重い」って呟いて離した。

「なんか凄い女だね」

「アンタも充分凄い女です。少しは自分が女だって自覚して行動して下さい」

そう言って乱れたスカートを直してやった。

なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだよって不服だったけど、

曝け出された白い腿がなんとなく眼の毒だと思ったから。

それなのに「あたし、こういう女好きー」とか言って、また気にしていない。

「なんか先輩みたいですよね」

「は?」

「裏切った彼氏を酷い目に遭わせたって噂になってますけど?」

ちょっとした意地悪をする権利くらい、俺にはあると思った。

嫌な話題を振られて先輩の顔は途端に不機嫌に歪む。

「あんなの当然の報いよ。生きていられるだけ感謝しろっつーの!」

「ホラ、そっくりじゃないですか」

「あたしは男に裏切られたからって死なないわよ。一緒にしないで」

「ふーん。でも、わんわん泣き喚いたらしいじゃないですか」

「なっ! なんでアンタが知ってんのよ?!」

先輩は顔を真っ赤にして叫んだ。

たまにはこれくらいの仕返ししても罰は当たらない筈だ。

いつも強気でいる先輩のこういう姿を見るのはちょっと気分が良い。

「跡部さんが宥めるの大変だったって言ってましたよ」

「失恋で泣くキャラでしたっけ?」って嫌味っぽく言う。

「クソッ、跡部のおしゃべりめ! 絶対に絞める!」

おい、女がクソとか言うなよ。

だけどまた差別だとか言い出すのは分かり切ってたから口にするのは思い止まる。

「意外な一面だったのでちょっと吃驚しました」

実はちょっとどころではなかった。

その話を跡部さんから聞いたときは本当に吃驚してしまった。

へぇー、意外と一途なんだ、って思った。

そして、意外と可愛いとこあるんだな、ってちょっとだけ思った。

口が裂けてもそんなことは言ってやらないけれど。

「意外で悪かったわね」

「ま、この主人公みたいに死なれないで良かったですよ」

先輩がきょとんとする。

何か変なこと言ったか?、と自分の言葉を思い返していると

さっきとは打って変わって「へぇー?」とか言いながらニヤニヤしだした。

「なんですか、気持ち悪い」

「あたしが死んだらそんなに悲しいんだ?」

「……は?」

「日吉クンってばカワイイー」

どういう解釈すればそうなるんだよ。

「悲しいんじゃなくて迷惑なだけですよ。勘違いすんな」

「うわ、前言撤回。日吉ってほんっと可愛くないなぁ」

「可愛くなくて結構です」と答えて本を閉じた。

それを見つめて、先輩は少しだけ首を傾げた。

「なんですか?」

アンタの所為で読めなかったんですよ、一文すら。

「ねぇ、そんな凄い女はごめんなんでしょ?

 そんな女が出てくる話なのに日吉はなんで読んでるの?」

咄嗟に言葉が出てこなかった。

なんだか恥かしいような気まずいような気持ちになる。

自分でもなんでこんな本を選んだのかよく分からない。

内容は全部知っていたし、あまり好きじゃない話だし、

でもなんとなく吸い込まれるように手に取っていた。

「……別に深い理由なんてありませんよ」

「ふーん。ま、とにかくもっと爽やかなもの読みなよ」

「煩い女だな」

「日吉は良い所いっぱいあるのにほんと損な奴だねー」

無邪気にそんなことを言うから性質が悪い。

言い返せず言葉を探す。

「顔も結構カッコイイのに」

「せめて前髪切ったら?」などと言って先輩は俺の前髪を掬い上げた。

熱を帯びた額に冷たい指が触れている。

至近距離にある先輩の猫みたいに大きな瞳が俺を覗き込んでいる。

視線が思わず薄く開いた赤い唇にいく。

俺は反射的に顔を背けてその手を振り払った。

「日吉の為に言うけどそのきのこ頭、微妙だよ? やっぱ髪切った方が……」

また先輩の手が伸びてきたから思いっきり立ち上がった。

「あー、もう、ほんっと煩い女だな! そんなんだから他の女に乗り換えられるんだよ!」

「っ?! なんだとコノヤロー!」

スイッチの入った先輩も立ち上がる。

「アンタ、人のことどうこう言う前にその気性の荒さどうにかしろよ!」

「せっかく人が心配してやってんのにその言い草はないんじゃない?!」

「心配してくれなんて頼んでないだろ?! もうほっといてくれ!」

「言われなくても二度と日吉のことなんか心配しないわよ!

 彼女も出来ずに一生一人身で寂しく生涯を終えれば良いわ!

 それであのとき先輩の言葉を聞けば良かったってせいぜい後悔すれば良いのよ!」

先輩は一気に捲くし立てると「日吉のバーカ!」と捨て台詞を残して走り去った。

気は強いし、口は汚いし、騒がしいし、本当に嫌な女だ。

それなのになんなのだ。

フェンスに凭れて深呼吸をする。

先輩に触れられた額に触れてみる。

あのまま触れられていたら俺は犯してはいけない何かをしてしまいそうだった。

いや、あんなの気の迷いに決まってるだろ、と自分に言い聞かす。

「俺はあんな女絶対に嫌だ」

声に出してみたけれどなんだか言い訳がましく響いて余計に気が滅入った。

手の中にある本を見つめる。

俺の心臓はいまだに早鐘を打っていて、

それこそこんな怪談噺よりもずっと恐ろしいと思った。



























































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