コンティニュー・ゲーム





テニスコートで練習が行われている様子をぼんやり見つめる。

練習試合の段取りは案外スムーズに運び、

どうせならスカウティングがてら観て行こうかなとテニスコートに立ち寄ってみて

まだ然程時間は経っていないと思う。

どこがどうという訳でもない。

それでも、どことなくぎこちなさを感じるのは今までいた人々の不在。

やっぱり青学も3年が抜けた穴は大きいのだろうか?

クセが、寧ろアクが強い、あの偉大な先輩達。

校内で偶然会えば絡んでくるし、たまに部活に顔を出してくれるけど、

既に懐かしく感じている自分がいる。

あたしたちはもう次へ向かって走り始めているのだ。

けれどやっぱり3年が抜けてダブルスの層が薄くなった事を否めない。

長太郎くんはシングルス向きって訳じゃないけど、

宍戸先輩とのダブルスに慣れ過ぎてしまっていて少し時間が必要だろう。

樺地くんはダブルス経験も普通にあるし適応能力は高いけど、

やっぱりシングルの方がコピープレーが生きてくると思う。

日吉は……余計な争いを生むだけだからダブルスなんて論外だ。

そもそも部長はシングルスっていうのがうちの方針だし。

そこまで考えて、ふと時計を見てみた。

今日は直接帰宅して良いと榊監督に言われている。

学校に戻ったとしても、もうその頃には部活はほとんど終わっているだろう。

けれど練習試合に向けて氷帝のコートも熱くなっている様を想像すると

なんだかあたしの胸まで熱くなってきてしまう。

……みんな頑張ってるんだろうな。

そう思うと間に合わなくても学校に帰ろうかなという気持ちになってきた。

うん、帰ろう。

部活には間に合わなくてもアイツが居残って練習してるかもしれない。

そう思って振り返ったら、彼がいた。







学校に着いてテニスコートに直行する。

思いのほか時間が掛かってしまい辺りは闇が溶け出し始めている。

部活はとっくに終わってしまい、みんな帰ってしまってるだろう。

けれど近付くごとに確実にはっきりとしてくるその音。

あぁ、やっぱりアイツだ。

あたしがこの音を間違うことはない。

「お前、遅い」

声を掛けられて少し吃驚した。

アイツは前を見据えたままサーブを打ち続けている。

「なんで分かったの?」

「……なんとなく」

「ふーん」

あたしの含み笑いに頬を少し染め、バツが悪そうな顔をする。

動揺が滲んだサーブはやっぱりフォルトになった。

これじゃああたし、練習の邪魔しに帰ってきたみたいだな。

そう思って小さく笑う。

「じゃあ、頑張ってね」

これ以上邪魔したくないから帰ろうと背を向けたら、

「は?!」って声が広いコートに響いた。

振り返ると不機嫌な顔のアイツがこっちを向いていた。

「どうしたの?」

「ありえねぇ……」

「うん?」

「お前、人が待っててやったのに俺置いて帰る気かよ」

「え、待っててくれたの?」

アイツは答えずに視線を逸らした。

監督に直接帰って良いと言われていた事を知っていた筈で、

部活もとっくに終わった時間に用もなく学校に帰って来る可能性なんて微々たるもので。

それなのにあたしを待っていたという事実をどう飲み込めば良いのか分からない。

ただ、不本意だけど今あたしの顔は赤くなってるという事はよく分かる。

「着替えてくるから校門のところで待ってろ」

そう言い残してすたすた歩いていくアイツの後ろ姿を見つめる。

無粋な事訊いてごめん、って思いながら。

なんかコレ、中学生の恋みたいだな……いや、実際中学生ですけど。

でも、あたしはこんな人間じゃない筈で、もっと飄々としていたと思う。

飄々っていうか、つーんって感じ。

それなのにこの有り様はなんなんだろう。

『よく分かったね。さん、こういうの鈍そうなのに』

彼の言葉を思い出す。

違う、あたしは鈍くなんかない。

だけどアイツには乱されてしまうのだ。

人を好きになるってこういう事なのか。

溜息を吐いて、校門を目指して歩き始めた。







小さい……。

彼と対峙してみると背の低さを改めて感じた。

年下とはいえ男の子なのにあたしより眼線が一段下だ。

あのプレーの数々が嘘みたいに思えてくる。

「ねぇ、アンタって氷帝のマネだよね?」

彼は帽子のつばをひょいと上げてあの挑戦的な眼であたしを射抜いた。

「そうだけど何?」

「名前なんていうの?」

「……、2年」

小さいうえに生意気だな、と思って一応先輩だという事を主張してみる。

けれど返ってきた言葉は「ふーん」。

先輩に対しての言葉遣い、青学は教えてないのだろうか。

あの日吉ですら先輩には敬語(といえるか微妙なものだったけど)を使ってたのに。

まぁ、別にどうでも良いけど。

「もう良いでしょ? じゃあね」

「待って」

腕を掴んだ力の強さに吃驚した。

そうか、やっぱり男である事には変わりないんだな。

やんわりとその手を解きながら思った。

「何? あたし学校戻りたいんだけど」

「今度そっちと練習試合あるんだってね」

「えぇ、今日もその為に来たの。もう用は済んだけど」

「賭けない?」

「……は? 賭け?」

「うん。負けた方が勝った方のいう事なんでも1つだけきくの」

「あたし、君にお願いしたい事なんて何もないけど」

「ふーん、でも俺はあるんだよね」

「……何?」

少し身構える。

どんな事を言われるか、正直想像がつかない。

「俺が勝ったらさん、アンタ俺の彼女になって」

越前くんの発言はあたしの予想を遥かに越え、想像の域すら飛び出していた。

だってあたしと越前くんは何の関係性も持っていない。

大体、この子が女の子に興味があると思えない。

あぁ、馬鹿にされてるのか。

悪いけど、そういう冗談に付き合ってられるほど暇じゃない。

「そういうのは他所でやってくれない?」

「俺、本気だよ。関東大会で初めてさんの姿見てからずっと気になってたんだ」

あの夏の日の戦いを思い出して拳をぎゅっと握った。

あたしはあの日の事をまだ鮮明に覚えている。

「だから俺と賭けしない?」

その時、あたしはやっと気付いた。

「……もしかして、それ、告白のつもり?」

「まぁ、そうなるのかな?」

正解しちゃったよ。

こんなの当たっても全然嬉しくない。

「よく分かったね。さん、こういうの鈍そうなのに」

「鈍そうで悪かったな」という言葉は呑み込む。

「だって君、負ける気全然ないでしょ?」

「勿論。勝負にも賭けにも勝つつもりだよ」

そんな眼されたら嫌でも本気なのが伝わる。

あたしはいつのまにか笑い出しそうになっていた。

あの越前くんに告白された。

あの、越前くんに。

「何笑ってんの?」

堪えたつもりだったのに顔が緩んでいたらしい。

でも、しかたない。

「悪いけど、それは無理な相談だわ」

「なんで?」

「今度の練習試合での君の相手、日吉なんだよね」

あの涙をあたしは忘れない。

肩に預けられた頭の重みをあたしは忘れない。

「ごめん」って呟いた時の震えた声をあたしは忘れない。

「関東大会では君が勝ったかもしんないけどさ、今度はアイツが勝つよ」

「今度も俺が勝つよ」

「それはどうだろ? 君、こんな事してないで練習した方が良いと思うけど?」

彼の眼の前に立って、耳元に唇を寄せる。

また笑い出しそうになる。

「あたしの彼氏に下剋上されちゃうよ」

「え……」

「まだまだだね、越前くん。じゃあね」







思い出したらまた笑えてきてしまった。

彼には悪いけどアレ、ちょっと快感だった。

「何笑ってんだよ、気持ち悪い」

変なところ見られちゃったけど気にしない事にする。

きっとこの話をしたら日吉も笑うと思うから。

それはもう、気持ち悪いくらいに。

日吉は「帰るぞ」って言って、ぶっきらぼうにあたしの手を取って歩き始めた。

こんなところで手を繋いでくれるなんて珍しい。

付き合い始める前から想像出来ていた事だけど、

日吉は人前で恋人らしい振る舞いをするのを嫌がる。

そもそも恋人らしい振る舞い自体、乏しい。

ちょっと寂しくはあるけど、でもちゃんと想ってくれているとは思う。

たぶん、おそらく。

だからゆっくりと恋人らしくなっていけば良いかって思うようにしている。

「青学はどうだった?」

「うん、練習試合に向けて熱入ってたよ。なんか独特な練習方法だったけど。

 あと、あっちも3年が抜けた影響があるように感じた」

「あっちも……普通俺に言うか?」

「だって全部これからでしょ? 日吉の事、信頼してるし」

「……なんだよそれ」

「頑張ってね、日吉部長」

日吉は返事の代わりにぎゅっと手を握ってきた。

なんとなく今日の日吉はいつもより甘い。

「なぁ、なんか変わった事なかったか? ……変なのに絡まれたりとか」

「ん? んー……ちっちゃい子には絡まれたかな」

「ちっちゃい子?」

「越前くん」

「越前……」

あたしは思わずまた笑ってしまう。

「あそこまで生意気な子だとは思わなかったよ」

「何言われたんだよ」

「賭けしない?、って。今度の練習試合に勝ったらアンタ彼女になって、だって」

「それ、告白……」

「うん、越前くんに告白されちゃったよ。あの越前くんだよ?」

「笑えるよね」って続けようとしたら手を振り払われた。

一瞬何が起こったのか理解出来なくて、少し遅れて足を止める。

立ち尽くしてる日吉は俯いていて、いつもの不機嫌そうな顔を更に歪めていた。

さっきまであたしの手を包んでいたその手は、きつく握り締められている。

「日吉?」

「お前……信じらんねぇ」

「何怒ってるの?」

「そんな事笑って話してんじゃねーよ」

「え、まぁ、越前くんには失礼だとは思うけど」

「そうじゃなくて! ……俺、待ってたんだぞ」

「うん?」

「っ、馬鹿! 心配だから待ってたんだよ!」

「心配?」

「それなのに笑って越前に告白されたとか話しやがって」

「あっ……」

そっか、日吉はあたしを心配して待ってくれてたんだ。

それなのに暢気にそれを喋って、そりゃ気分悪いよね。

「ごめん」

「……ん、分かった。もう良い」

そう日吉は言ったのに。

日吉の機嫌は直らず、足早に歩き始めた。

「日吉、待って」

慌てて追い掛けるけど並んで歩く事を拒むようにどんどん歩くペースを上げていく。

何が何だか分からない。

「ねぇ、まだ怒ってるの?」

「別に」

「あたし他にも何かした?」

「別に」

「確かに悪かったけど、でも別に告白されただけで何もなかっ……」

「何かあってたまるか!」

日吉が突然止まって背中にぶつかった。

振り向いたまま何も言ってくれない。

やっぱりまだ怒ってる。

彼とは何もなかったって分かってるのにどうしてそんなに怒ってるのか分からない。

もしかして大変な誤解を招いているのだろうか?

日吉が怒ってる原因がいまいち掴めなくて困惑してしまう。

「ねぇ、なんでそんなに怒ってるの? 本当に分かんないよ」

訳が分からなくて首を傾げて尋ねると、日吉はしばらく沈黙してから舌打ちをした。

「お前、ほんっと鈍いな!」

「えっ」

「ムカツクんだよ!

 お前が俺の事好きだって分かってるし、アイツと何もなかったのも分かってる。

 だけど頭では分かってても気に食わない。

 俺の知らないところでお前が口説かれてたと思うと……なんかすっげぇムカツク」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……日吉、それ嫉妬っていうんだよ?」

「っ! んな事分かってるよ! 鈍感が偉そうにほざくな!」

手で覆い隠した日吉の顔はそれはもう真っ赤で。

あぁ、やばい、すごいときめいてる。

日吉が愛しいって心底想う。

あたしって自分が思っている以上に愛されてるんだな、って気付いた。

「ごめん。ありがとう」

恐る恐る寄り添って、胸に頭を預けてみた。

そしたらすぐ引き寄せられて、苦しいくらいぎゅっとされた。

だけど日吉はすぐに冷静さを取り戻したようで、「悪い」って呟いてあたしの身体を離した。

もうほとんど衝動的な行動だったのだろう。

だけど。

「謝る必要なんてないのに」

あたしの言葉に眼を見開いて、日吉はまたあたしの手を取って歩き始める。

「……

久しぶりに呼ばれてドキッとした。

普段はお前としか呼んでくれないクセに、不意に下の名前を呼んでくるからずるい。

「賭けしないか?」

「え? ……うん、何を賭けるの?」

「今度の練習試合、俺が勝ったらさっきの続きがしたい」

「……勝ってね?、若」

仕返しのつもりだったのに、

日吉が「今すぐ続きしたくなるからその呼び方やめろ」なんて呟くから

結局あたしの心臓が煩くなった。

甘酸っぱくて、こそばゆくて、もどかしくて、無器用で。

ほんと、中学生みたいな恋だと思う。

だって実際中学生だもの。

それに、全てはこれからなのだ。







「そういえばお前、越前になんて返事したんだ?」

「そんな事言ってないで練習した方が良いよ、って。

 あたしの彼氏に下剋上されちゃうよ、って答えておいた」

「くっ、あはははは……!」

やっぱり笑った。

それはもう気持ち悪いくらいに、さも愉快だとばかりに声を上げて。

「ご満足頂けましたか」

「お前、最高」

「とりあえず先に下剋上しておいたよ」

「……お前がしてどうする」

「今度は日吉が下剋上してね」

日吉はやっぱり返事の代わりにぎゅっと手を握ってきた。




























































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