ドラマチックに欠いて




高校2年の初夏だった。

テスト前なのに数学で薄靄が掛かっていてどうしても分からないところがあったから

部内でいちばん数学が得意であろう阿部に訊きに行った。

どうしてこの場合はあの公式じゃなくてこの公式を使うのか、

その問いに対して阿部は野球関連の雑誌をぱらぱらと眺めたまま明瞭かつ的確な解説をしてくれた。

「あ、そっかそっか、なるほどねー」

「あ、

「んー?」

「俺、お前のこと好きなんだけど」

ついでとばかりにされた告白に一瞬事態が把握出来なかった。

とりあえず教科書と睨めっこしていた顔を上げると、

阿部は頬杖を突いたままあたしを見据えていて、「なぁ、俺のことどう思う?」と淡々と言った。

「あ、うん、あたしも結構好き」

「新連載のマンガ、結構面白くね?」、「あ、うん、あたしも結構好き」、

そのくらい他愛もない響きであたしも答えた。

過去に何度か告白をされた経験はあった。

けれどそういうとき相手は頬を紅く染めていたり、声が上擦っていたり、視線を彷徨わせていたり、

とにかく動揺や緊張を隠し切れず何かしらの異変があった。

阿部は、いつもの阿部だった。

無表情であたしを見つめる阿部があまりにもいつもどおりだったせいで

あたしは驚くことも忘れて思わずと素直に返事をしていたのだ。

「ふーん、じゃあ付き合うか」

「あー、それもそうだね」

そうしてあたしたちはドラマチックに欠いてゆるゆると恋人になった。



そしてそのままゆるゆると7年が経ってしまった。

ビールの缶を呷って飲み干し、視線をテレビ画面から試合観戦に集中しているであろう阿部の横顔に移す。

少年期を過ぎた阿部の顔付きは随分と精悍となった、気がする。

ずっと一緒にいるとその変化は捉えどころがない。

まぁ、少なくともあの頃はビール片手にナイターを観戦するってことはなかったな、と思う。



「あ、うん」

新しい缶を取りに行こうと立ち上がると、

今までこちらのあからさまな視線すら反応しなかった阿部が声を掛けてきた。

試合は8回裏、1アウト満塁で4番打者というなんとも美味しい状況で、

阿部はそれ以外何も見えていないのだろうと思っていたのだけど、そういう訳でもないらしい。

冷蔵庫から缶ビールを2本取り出す。

新しい缶を渡してやると阿部はプルトップを開けて一口飲み、

あたしがついでに出してきた食べかけのスナック菓子に手を伸ばした。

「これ、湿気てね?」

「そう?」

あたしも手を伸ばしてみる。

まぁ、言われてみればそんな気もするけれど、気にするほどでもないような。

「これ、一昨日開けたばっかなんだけどな」

ぼそっと呟いて、2本目のビールに口を付けた。

それからはお互い黙り込んで、並んでベッドに寄り掛かったままプロ野球観戦に集中した。

こんな生活もいつのまに日常として溶け込んでしまった。

高校3年の冬だった。

同じ東京の大学に進学することになったあたしたちは実家から離れて生活することになった。

居住する場所を新たに確保する為に阿部とふたりで物件を探しに行こうと話していて、

あたしはどうしてもキッチン付きのところが良いのだとぼやいた。

「でも1Kって高いよね。やっぱワンルームで我慢するしかないのかなー」

「え?」

「なに?」

「お前、一緒に住まねぇの?」

「あ、うん、住みたい」

「じゃあ探すの、2DKだろ」

やっぱり阿部が当たり前のように言うもんだからあたしは素直に納得していて、

あたしたちはゆるゆると同棲をする流れになった。

阿部、という男はたぶんあたしが思っている以上に変わっているのだと思う。

野球以外に対しては無感動なのだろうか。

別に、阿部のそういうところが嫌いな訳では決してない。

阿部らしいな、と思う。

そしてそういうところも含めて好きだなぁ、と感じる。

でも、ちょっと尋常じゃないということは分かる。

大事なはなしをとてつもなく自然に、それこそ無意識的な次元で告げるだなんて、

ちょっと普通の神経じゃ出来ない筈だ。

あたしは阿部と7年間も一緒にいるのに、阿部のことがよく分からない。

花井なんかは「さすがは阿部のこと分かってるなー」なんて言うけれど、

実際はたぶんこうだろうなぁとか、きっとこういうことかなぁ、なんていう憶測に過ぎない。

このままであたしたちは大丈夫なのだろうか。

いや、別にそんなことはたいした問題ではない。

どんなに一緒にいても他人なんだから理解出来ないのなんて当然。

理解しようとすることが大事なのであって、理解出来るだなんて考えるもんじゃない。

ただ、あの自然さで突然別れを告げられたらどうしよう、と思ってしまう。

阿部の感情の変化はまったくもって分からない。

高校時代、阿部に告白をされたときだってまさか阿部があたしを好きだなんて思ってもみなかったのだ。

7年も一緒にいれば気持ちが冷めたって可笑しくはないだろうし、

もし別れるならばちょうど今くらいが頃合いだろうと阿部なら考える、たぶんだけど。

あんなふうに「そろそろ別れるか」だなんて言われたら、

また思わず「あ、うん、良いよ」なんてうっかり答えてしまいかねないではないか。

あたしはまだ阿部が好きなのに、それだけは困る。

だったらどうするべきか。

やっぱあたしにはこれしか思い浮かばない。

「ねぇ、阿部」

「ん、なに?」

「そろそろ結婚しよっか」

テレビ画面では逆転勝利に貢献した打者がお立ち台でインタビューを受けている。

それに見入っていた阿部が真顔のままゆっくりとこちらを向いた。

「あ、うん、良いよ」



そうしてあたしたちはこれからもドラマチックに欠いてゆるゆると一緒に過ごし続けるらしい。



「7年も一緒にいるのにってほんと分かんねぇな」

「なにそれ」

「今の、ナイター終わったら俺が言おうと思ってたんだけど」

「そうなの?」

そういえば花井は「お前らって似てるよなー」とも言っていた気がする。



























































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