昨日、髪を切った





昨日、あたしは髪を切った。

何の前触れもなく、自分でも予定外なことに、髪を切った。

肩甲骨まであった髪をバッサリ。

だから首がすうすうして、なんとなく落ち着かない。

「えっ? ……、髪切った?」

アスファルトにうつ伏せで寝そべっていたあたしはとても無防備で、

しかもぼんやりとしていたものだから、

その声を聞くまで屋上に人が来たことにまったく気付かなかった。

ゆっくりと伏せていた顔を上げると同じクラスの泉がいた。

もうすぐ1限の授業が始まる筈なのになんで泉がこんなところにいるのだろう。

まぁ、それはあたしも同じなんだけど。

「うん、切った」

泉を見上げてるのもそろそろ首が痛くなってきたなぁと思ったら、

それに気付いてくれたのか、単に立ってるのが疲れただけなのか、

泉はあたしの隣に腰を下ろしてフェンスに背中を預けた。

「なぁ、なんで? ロング、すげー似合ってたじゃん」

始業のチャイムが鳴り終わると同時に泉が口を開いた。

「ショートが似合わないだけでしょ」

「いや、そうでもないけど」

「似合わないよ」

だってあたしは可愛げのない性格のクセに童顔だから、

ショートだと余計に幼く見えてしまう。

そこらへんの公園で遊んでる小学生の男の子みたいで、なんかカッコ悪い。

しばらくスカートは穿けそうにない。

「ショート、やだなぁ。ほんっと不本意」

自分の髪を一束摘んで呟く。

泉が「じゃあ切らなきゃ良かったじゃん」って尤もなことを言った。

なんとなくつまらなそうな顔をしている。

泉はよくあたしの髪を梳いて遊んでいたから、暇潰しを失って不服なのかもしれない。

でも、これはどうしようもなかった。

事故みたいなものだ。

「別に切りたくて切ったんじゃないよ」

「あ、どうせ彼氏にショート見てみたいとか言われて切ったんだろ?」

泉がものすごく自然に地雷踏んだ。

「お前意外と乙女だもんなー」と笑いながら続ける。

「そういうこと言うのやめて」

「めんどくさいとか言いながらマメに隣のクラス通ってるし、

 帰宅部のクセに彼氏が部活終わるまで待ってるし、

 ケータイ、最新の出てるのに彼氏のやつと色違いのに……」

「もう黙ってよ、うるさいな。髪切る羽目になったのはみんな泉の所為じゃ……」

そこまで言ってから自分の愚かさに気付いて、泉から眼を逸らして沈黙した。

情けないったらない。

泉は何もしてない、何も悪くない。

こんなのは八つ当たりだ、最悪。

「……あのさ、なんかあった?」

それなのに泉が優しく問うから、涙腺が緩んでくる。

それを隠したくて再び顔を伏せた。

「泉」

「うん」

「あたし、フラれた」

「……は? マジで?」

「まじだよ」

「え、だってお前ら仲良いって……」

「本当だってば。失恋したから髪切ったんだ」

彼氏とは中学から友達で、高校入ってすぐに付き合い始めた。

些細なケンカはあれど特に大きな問題もなく、仲良くやっていた筈だった。

いや、実際周りに羨ましがられるくらい仲が良かったのだ。

それなのに、この泉孝介という一人の男を巡って脆くもその関係は崩れ去ってしまった。

「最近、野球部の泉って奴とよく一緒にいるよね」

思えばあの言葉を言われたときから、

少しずつ彼の中では何かが崩れ始めていたのだろう。

「まぁ、失恋で髪切るとかかなり寒いけど」

なんとなく空気が神妙な雰囲気になってしまった気がして、

潤んでた眼を乾かして、へにゃりと笑ってみせた。

でも、泉はすごく真剣な顔であたしを見ていて、この空気を誤魔化せそうになかった。

「理由は?」

擦れ違いとか性格の不一致とか、それらしいことを言えば済むのだろうけど、

泉が心配してくれてるのがひしひしと伝わるから、適当なことは言えなくて口篭もる。

「お前さっき、髪切る羽目になったのは俺の所為だって言ったよな?」

「……ん」

「俺、何か関係あんの?」

ひとつ溜息を吐いて、「うん」と小さく答えた。

「彼氏がね、もう泉とは話さないでくれ、って」

「何それ」

「泉は……泉は、きっとあたしのことが好きだ、って……なんか勘違いしててさ。

 それは誤解だってちゃんと説明したんだけど、分かってくれなくて、

 泉とはもう話さないで欲しいって言われたの」

「なんて答えたの?」

「それは約束出来ない、って……そしたら別れよう、だって」

馬鹿みたいだ。

たったそれだけであたしはフラれてしまったのだ。

ちっぽけな理由、しかも誤解による一方的な決別。

どうしてそんなことになってしまうのか、あたしには分からない。

嘘でも泉とはもう話さないよ、って言ってあげれば良かったのだろうか。

そしたら今もあたしたちは恋人同士だったのだろうか。

でも、そんなふうに繋ぎ止めようとは思えなかった。

それが答えなのかもしれない。

あたしは、彼氏とは別れられても、泉とは別れられなかった。

「……ごめん」

「やめてよ。なんで泉が謝るの?」

「だって俺の……」

「ただの勘違いじゃん。泉は何も悪くないよ」

だから泉には言いたくなかったんだ。

泉は優しいから、きっと自分を責めると思った。

でも、泉は何もしてない、何も悪くない。

「いや、俺の所為だよ」

「泉、あたし本気で怒る……」

「それ、勘違いじゃねーから」

一瞬、音が消える。

あたしは言葉を失って、口を開けたまま静止した。

泉が毅然とあたしを見つめているから、胸が急に苦しくなって俯いた。

勘違いじゃなかったら何なの?

その答えはもう分かっているけれど、知りたいような知りたくないような複雑な気分で。

だって、あたしは昨日髪を切ったばかりなのだ。

「俺、が好きだよ。そうじゃなきゃ、今こんなところにいない」

何か言わなきゃって思うけれど、言葉は浮かんでは消え唇に乗ってくれない。

「いず、み……」

「うん」

「いずみ……」

「うん」

「泉……」

「うん」

ただ、泉の名前をうわごとみたいに繰り返す。

それしか出来ない。

あたしのなかが泉でいっぱいになってしまったみたいで、無性に泣きたくなった。

泉のごつごつした男らしい手があたしの頭に下りてきて、宥めるように撫でる。

「俺、の長い髪を梳くの好きだったんだ」

泉の手が下りて、あたしの短くなってしまった髪を指で梳く。

するりと指が宙を漂って、髪に指を差し込んで、宙に漂って、髪に、宙に――

アスファルトに涙が落ちて、黒く染まった。

あたしは髪を切って、初めて泣いた。

「あたし、髪切らなければ良かったな」

「また伸ばせば良いじゃん」

「うん」

「髪が伸びたらさ、俺、もう一度言うから真剣に考えておいて」

昨日、あたしは髪を切った。

あたしの想いは、髪が伸びるまで待てないかもしれない。




























































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