祝福のドルチェ





「紅茶で良いでしょ」

通い慣れた応接室のドアを開けるなり彼女の声がして、

一瞬だけれどこの数日の休みで校舎の改装が行われたのではないかと思ってしまった。

そんなこと僕の許可なしにある訳がないのに。

けれど、僕が嫌がる彼女を無理矢理ここに連れ込むことはあっても

彼女が自らの意思でここに来ることなんて、今まで一度たりともなかったから。

だから飛び込んできた光景に僕は些か面を喰らった。

「ねぇ、アンタ聞いてるの?」

「君、なんでここにいるの?」

「先にあたしの質問に答えてくれない?」

「しかもなんで僕にお茶なんていれてくれてるの?」

「……そう、紅茶で良いのね、よく分かった」

彼女は不機嫌なとき特有の満面の笑みを浮かべてそう言うと、僕に背中を向けて作業に戻った。

何がなんだかよく分からないままソファーに腰を下ろして、その後ろ姿を眺める。

「君さ、どうしちゃったの?」

「……」

「いつも僕から逃げるじゃない。それなのに」

「……」

「ねぇ、聞こえてないのかい?」

「……」

、もしかして僕のこと好きになってくれたの?」

「嫌い、とても」

「……咬み殺してやりたい」

やっと口を開いたかと思えば鋭い声で拒まれる。

彼女は初めて会ったときからそうだった。

いつものように風紀の見回りをしていたらガラスが割れる派手な音が廊下に響き渡り、

僕が眉を顰めてそちらに赴くとガラスの破片が飛び散るなか、制服を紅く染めた少女が立っていた。

その凛とした佇まいに僕は一瞬意識を攫われそうになった。

認めたくはなかったが、その姿はあまりに美しかった。

僕の存在に気付くと彼女はゆっくりとこちらを向いた。

けれど首を小さく傾げると、視線を自分の足元に戻して白い頬に飛び散っていた血痕を手の甲で拭った。

彼女が見下ろす先には男子生徒が血を流して気絶していた。

そいつが倒れている真上の窓ガラスが割れていて、吹き込む風が彼女の長い髪をしなやかに棚引かせていた。

やっぱり、美しかった。

でも、そんなことは関係ない。

『君、何してくれてるの?』

『……』

『僕の学校を汚した罪は重いよ』

『……』

『ねぇ、聞いてるの?』

『……』

『そう、じゃあ咬み殺してあげる』

振り下ろしたトンファーは彼女がさっき拭ったばかりの白い頬を血で濡らす筈だった。

僕は眼を見開いて彼女を見た。

彼女は僕の攻撃を腕で受け止め、僕を睨み付けていた。

その眼は肉食動物のそれだった。

『あたしに、触らないで』

彼女はその美しい顔には不釣り合いな冷たい声で告げ、去っていった。

残された僕は呆然としたまま、壊れたのではないかと思うほど激しく鼓動を打つ心臓を押さえた。

今まで感じたことのない焦がれるような想いが僕を支配し始めていた。

僕は、恋をしたのだ。

それからというものの、僕は彼女を手に入れようと手を尽くしている。

けれど相手は肉食動物だ。

草食動物を捕食するのとは訳が違う。

この部屋に連れ込むのだって最初はお互い傷だらけになるまでの殴り合いを経てやっとのことだった。

それが最近ではようやく傷付け合うこともせずに済むようになってきた。

単純に、争っても制服が汚れるだけ無駄だと彼女が少しずつ諦めを覚えていっただけで

僕に心を開いてくれた、とかではないみたいだけれど。

それでもだいぶ進歩したと思う。

少なくとも僕という存在を着実に彼女のなかに植え付けていくことに成功しているといえる。

そんなささやかな悦びを感じはじめたばかりだというのに。

が応接室に来て僕の為にお茶をいれてくれている、だなんて。

奇妙な感覚と興奮で落ち着かなくて、何度となく脚を組み変える。

顔を掌で覆っていないと今にも表情が緩く綻びそうだ。

「なんか、新婚みたい」

新居のソファーで寛ぎながらキッチンで僕に紅茶をいれる彼女の後ろ姿を眺める。

そんな空想が僕の脳内を侵して、僕はついに零して照れてしまった。

彼女は振り向いてそんな僕を一瞥すると、心底嫌そうな顔をしてまた背中を向けた。

そこまで嫌そうな顔しなくても良いのに。

「僕、子供は二人以上欲しいな」

それでも懲りずにそう言うと彼女は手元を狂わせたらしく、舌打ちをした。

可愛いな、僕の未来の奥さんは。

でも、舌打ちは子供の教育上良くないよ。

まぁ、躾は僕がすれば良いか。

はそこにいてくれるだけで充分過ぎる。

そんなことを考えながら眼を閉じていると、「ねぇ、ヒバリ」と彼女が珍しく僕の名を呼んだ。

は僕のことを「ヒバリ」と呼ぶ。

決して「雲雀」ではなく、勿論「恭弥」だなんて親しみの籠った呼び方ではなく、カタカナで「ヒバリ」と。

少し報われない想いに囚われるけれど、それが僕は嫌いじゃない。

「ヒバリは、いくつになったの?」

「ん? 僕はいつだって好きな年齢だよ」

そこまで言ってふと気付いた。

すると今日の彼女の行動はただの気まぐれなんかではなく、ちゃんと意味が伴っていることが分かって、

僕の心臓があの日のように別の生き物として意思を持って暴れ出した。

なんてことだろう。



野性的な感覚を持つ彼女のことだ、僕の呼び声で察知したのだろう。

何も答えず、湯気が立ち上るティーカップを僕の前に突き出した。

「じゃあ、あたし行くから」

踵を返す彼女の腕を掴む。

彼女は気まずそうにこちらを見た。

あの頃のように『触らないで』なんて言わない。

「僕が欲しいって言ったのは君自身なんだけど」

「……何の話?」

僕を睨み付ける眼差しは強く、それなのにどこか戸惑いが混じっていて。

僕は彼女を押し倒したい衝動に駆られた。

けれどそれを実行するよりも先に腕を掴んでいた手を振り払われ、欲情はどうにか有耶無耶にする。

「冷蔵庫にお茶請けあるから自分で出して食べて」

「うん、ありがとう」

驚くほど素直に零れた笑顔に彼女は一瞬言葉を詰まらせると、逃げるように部屋を出て行った。

その姿を最後まで見送り、僕はほうっと溜息を吐いてソファーに身体を沈めた。

まさか彼女が、僕を嫌いだと言う彼女が、覚えているだなんて思わなかった。

一年前、誕生日を迎えた僕は「プレゼントに君が欲しいんだけど」と彼女を力尽くで押し倒した。

当然の如く彼女の激しい抵抗を受け、そのときはお互い病院送りになる寸前だったのをよく覚えている。

彼女が噛み付いて出来た首筋の傷はしばらく消えなかった。

そんな痕はもうとっくに姿を失ったけれど、彼女は覚えていてくれたのだ。

甘く麻痺した身体をどうにか起こして、席を立つ。

備え付けのこじんまりとした冷蔵庫の前にしゃがみ、ドアを開ける。

そこには彼女とは似つかず大人しく鎮座している物体があって、なんだか気恥ずかしい気分になった。

誕生日なんてもう喜ぶような年齢でもないのに。

「君、料理出来たんだ」

完璧なショートケーキの生クリームを指で掬って口に運ぶ。

甘いそれは僕ひとりで食べるには勿体ない。

羞恥心に打ちのめされているであろう彼女を連れ戻して一緒に食べよう。

今度こそ病院送りになっても良い。

の口から「誕生日おめでとう」の一言を聞くまで僕は譲らない。

本当に僕の誕生日を祝う気持ちがあるのならば、それくらいの我侭は許して。




























































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