食べられるかは関係ありません





箱の中に並んだトリュフを摘み、口に放る。

ちょっとほろ苦くて、でも蕩けるように甘い。

それはちょっと恋みたいだな、なんて三流の詩のようなことを考えて笑った。

恋、だって。

あたしには縁も所縁もない単語。

なにそれ食べられるの?、的な。

今日がバレンタインデーであろうがなかろうが、あたしにとってはどうでも良いことなのだ。

ただ持て余した時間と労力があったから世間の風潮に倣ってチョコ作りなんてしたものの、

それは勿論友達の胃袋へと消えるだけで終わる。

要するに、いわゆる友チョコってやつな訳。

ほとんどは自分のおやつになってるけど。

チョコレートをあげる・あげないは別にして、そういう相手自体、いた試しがない。

そこらかしこに漂っている噎せ返るくらい色めき立った空気に、

今日も世界は愛に溢れているんだな、なんて馬鹿っぽい思考を巡らせることしかあたしは出来ない。

こんな日はさっさと正常に呼吸出来る我家へと生還するに限ることは分かっているけれど、

生憎ほんと暇人なものでね。

それにあたしの奇行もといチョコ作りにそれはもう地球は丸かったと知った昔の人の如く家族は仰天して、

恋してるのかとか誰にあげるんだとか、お前らパパラッチかってなぐらいウザイ状況になっているから

家に帰るのはなかなか億劫なものがある。

誰か暇潰しに付き合ってもらおうとも思ったけれど、

その食べられない恋とやらのせいで友達の予定はみんな埋め尽くされていた。

(あたしは食べられるものの方が好きだけどな、とトリュフをもうひとつ)

どうせ街に出ても絶賛チョコ発売中の声が飛び交っていたり、

彼氏に渡す為のピンクの包みを抱いた少女が行き交っていたり、

とにかく自分の居場所がないことは想像するに易いから学校に居残って、

こうしてひとり暢気に自作のチョコに舌鼓を打ちつつぼんやりと時間が流れるのを楽しんでいる。

とはいうものの、学校も大差なくて、こんなふうに過ごせる居場所を確保するには長い道程だった。

教室はお目当ての人が部活を終えるのを待っている女の子たちが恋バナに鼻を咲かせていて、

居心地が悪くて早々に見切りを付けた。

こんな冬空の下なら誰もいないだろうと思ったあたしは何も考えずに思いっきり屋上のドアを開けたら、

カップルがキスする寸前に遭遇して、「お邪魔しました……」とドアを閉めざるを得なかった。

いくらなんでも裏庭なんてムードの欠片もないところに恋人達は集まらないだろうと推測し、

念の為踊り場の窓から誰もいないことを確認してから行ったのだけれど、

今度はどっこいしょと腰を下ろしたところで

真っ赤になって俯く女の子と気恥ずかしそうにその後を付いてく男の子がやって来て、

流石にこれは告白というやつだと気付いて退散した。

これはまずい、もっと慎重に事を運ばねばと思案し、

それでやっと誰も来ないであろう場所がひとつだけ思い浮かんだのだ。

最初からここに来れば良かった。

(でもまぁ、良い暇潰しになったと思えばね、とトリュフをもうひとつ)

それにしても、恋をする人間の考えることは分からない。

なんだってみんなあんなところに来るんだろう。

あんな寒かったり暗かったり、“恋”という響きにおおよそ似つかわしくない場所。

ちょっとセンスを疑う。

例えばこことかさ、どうせならあったかくて明るい場所が良いと思うけどな。

そのとき徐にドアが開いた。

そう、例えばここなんだよなぁ。

また一からやり直しかと憂鬱に振り返ると、ちょっと予想と違う光景があった。

「なんだ、跡部か」

「あーん?」

荷物を抱えた跡部が眉を顰めて立っていた。

そっか、限られた人しか鍵を持ってないから安心だとここを選んだんだった。

脱力して、浮かしかけていた身体を椅子に沈めた。

「よーっす、生徒会長。何しに来たの?」

「別に。ここは俺様の部屋みたいなもんだろ」

(いや、それは違うと思うな、とトリュフをもうひとつ)

ネクタイを緩めながら跡部が不遜な態度で自分の席に腰掛ける。

確かにここは生徒会室で、跡部は生徒会長だけれども、

ここは学校の一教室であって跡部の部屋ではないと思う。

そしてそれは正しい筈だ。

跡部のこういう発想が色々な意味で普通と違うなと感服してしまう。

「つーか、何でがここにいるんだよ?」

「え、いちゃ駄目ですか」

「そうじゃねぇ。

 お前余計な仕事俺に押し付けてろくに生徒会来ねぇクセになんでいるんだって訊いてんだよ」

「跡部、こめかみが痙攣してるよ」

「お前のせいだろーが!」

「副会長をカバーするのが会長の務めでしょー?」

「違ぇ! 会長が至らないところを補うのが副会長の役目だ!」

(えー、なにそれ、めんどくさいなぁ、とトリュフをもうひとつ)

生徒会とか、そういうのは性に合わないんだよね。

ただ勉強が出来て、跡部に恋愛感情が微塵もないからってだけの理由で、

立候補してる女の子が山のようにいたのに教師陣に拝み倒され押し付けられて。

いくら暇人だからってやりたくないことまでして潰す暇は持ち合わせてない。

こっちは良い迷惑だ。

生徒会就任が決まったとき、友達と家族に大爆笑までされてるんだ。

もう、これ以上何をあたしにしろというの?

「で、何してんだよ?」

跡部が溜息を吐いてもう一度尋ねる。

「んー、暇潰し」

「バレンタインに予定のひとつもねぇのかよ」

「ねぇよ」

跡部の口振りを真似して、きひっと笑うと思いっきり嫌な顔をされてしまった。

ほんと跡部ってつまんない。

それなのにどうしてこんなモテるのか不思議でならない。

あたしはジローちゃんの方が面白くて好きだけどなぁ。

まぁ、確かに顔は気持ち悪いくらい整ってるとは思うけどね。

(だけどそれがなんなのさ、とトリュフをもうひとつ)

「跡部様は随分とご予定がお有りのようですね」

跡部が抱えて持ってきた荷物に不躾な視線をやりながら言ってやると、跡部は眉毛をぴくりと動かした。

無造作に椅子に置かれた紙袋には大量のチョコレートが入っている。

しかも全てが本命だと言わんばかりの気合いの入りようで、

いかにも高級チョコレート店らしい上品な雰囲気のものばかり。

そのなかにもチャレンジャーがいて、凝ったラッピングが施された可愛らしい包みなんかもある。

ただでさえこんなに貰ってるのに跡部が素人の作ったものなんて食べるとは思えないけどねぇ。

それにしても、バレンタインデーに紙袋を用意してても嫌味にならないってどういうことだ、この男。

「ねぇ、跡部はチョコレート一体何個貰ったの?」

「あ? あー……100くらい? 多過ぎて分かんねぇよ」

「……は?」

いくらなんでもそれはないだろう。

そもそも、その紙袋の中に100個も入ってるとは思えない。

「その紙袋だけじゃないの?」

「邪魔だからさっき車呼んで自宅に運ばせた。

 やっと解放されたと思ったのにこの調子だから煩わしくて逃げて来たんだよ」

「部活も練習になんなくて今年も中断されちまったし」とぶつぶつ続ける。

心底うんざりした顔。

モテる男も楽じゃないってやつか。

まぁ、確かに女の子達にとっては年に一度愛を告げることを許された日なのかもしれないけど、

それを望んでいない男の子にとっては迷惑なだけなのかもしれない。

そこに女の子達の報われない愛を垣間見た気がして、恋を知らないあたしでもちょっとやるせなくなる。

でも、たぶんみんなは渡せただけで満足なんだ。

誰も跡部に振り向いて貰えるだなんて思ってない。

そういう、どこか次元の違う奴だもの。

恋って食べられないどころの話じゃないんだなぁ。

「そんなに多かったら食べ切れないね」

「当たり前だろ。つーか、みんな使用人のお茶請け行き」

「ひとつも食べないの?」

「喰わねぇ」

うっわー、血も涙もないな。

(つーか、それじゃあ女の敵どころか男の敵だ、とトリュフをもうひとつ)

「貰いたくても貰えない男の子だっているのに」

「そんなの知るかよ」

「ほんと酷い男だよねー」

最低ー、人でなしー、恨まれちゃえー、とかなんとか跡部苛めで楽しむ。

だって暇人ですから、えぇ。

「あー、もううるせぇな! 俺だって貰いたい奴には貰えてねぇんだぞ!」

ついには跡部に睨まれてしまった。

そんな恨みがましい視線を送られてもねぇ。

それこそあたしの知ったことかよ。

……ん?

あれ?、なんか今、跡部がすごいこと暴露したような気がする。

「あの、跡部さん、今なんと仰りました?」

途端に跡部の顔が紅く染まる。

おぉ、こんな跡部はまじレアだ。

写メ撮りたい。

そんなことしたらケータイを真っ二つに破壊されるだけじゃ済まなそうだから我慢するけど。

跡部が頬を染めたまま不貞腐れたように俯く。

跡部にも可愛いとこあるじゃない、と思って気付かれないように笑う。

そうか、跡部も恋なんかしちゃってるんだ、俺様のクセに。

(世の中食べられないものの方が人気なんだなぁ、とトリュフをもうひとつ)

ココアパウダーで汚れた指を舐めていると俯いていた筈の跡部がこっちを凝視していた。

「なに? 恋する跡部様」

「っ! その呼び方やめろ!」

「だって跡部が珍しく面白いんだもーん」

けらけら笑って足をばたつかせる。

「……それ」

「ん?」

「それ、まさかお前が作ったのかよ?」

「こんないびつな形のトリュフを売ってるお店があるならお目に掛かりたいよ」

最後の一粒を摘まみ上げて晒す。

トリュフといえば綺麗なまんまるをイメージするのが正常な感覚だと思う。

だけど、これじゃあ子供が砂場で作った砂団子……いや、砂団子はもっと丸いな。

もっとこう、芸術は爆発だ!的な斬新過ぎて意味不明って感じのフォルム。

暇潰しにチョコ作りなんぞしてみたもののなんせ家庭科2なもんで、

料理の本に載っていた写真と同じものとはおおよそ思えない物体が出来上がってしまった。

ガナッシュとか呼ばれるものを丸める行程を

それこそ砂団子作りと根本的に変わらないと思って挑んだのが間違いだった。

体温でチョコは溶け、掌の中を上手く転がってくれなかったのだ。

砂とチョコ。

根本的に変わらない訳ないっつーの。

ココアパウダーが救世主となってなんとなくそれらしい面影はあるけど、

やっぱりこうしてまじまじと見てみるとトリュフと呼ぶには無理があるような気がしてくる。

「ま、これでも味は普通だから」

どんまい、自分。

何事も見た目だけで判断しないのがあたしの良いところでしょ。

それにだって、食べられるもん。

あたしの世界の境界線は食べられるか食べられないかなんだ。

トリュフを摘んだ指先を口元に持っていき、唇を開こうとしたその瞬間だった。

跡部があたしの腕を捕まえてそれを引き留めた。

あたしはぽかんと間抜けに口を開けたまま、跡部の必死な形相と睨めっこする。

綺麗な顔がなんかもったいない。

瞬きを数回して、もう一度その手を引き寄せようとしたら更に力を込められて阻まれた。

「あの……それじゃあ食べられない」

「……」

「え、喰うなってこと?!」

「いや……」

「なに」

「だから……」

「なんだってば、早く言え」

「どうせあげる相手もいないんだろ?! しょーがねぇから俺が喰ってやるよ!」

いやいや、自分で食べますから結構です、のーさんきゅー。

そう答える間もなく手が持って行かれて、跡部はあたしの指を自分の口へと運んだ。

跡部がいびつなトリュフを口の中で転がす。

あたしは解放された手をどこに戻せば良いのかよく分からなくて、

ココアパウダーにまみれた指先を釈然としない気持ちで見つめた。

なんだったんだ、今のは。

とりあえずこの指を舐める気にはなれない。

だからって跡部を前にして制服の裾で拭くとか、それはあんまりな感じもする。

この行き場のない手をどうしてくれよう。

「ふーん……まぁ、食べられなくはねぇな」

「“食べられなくはない”……? 普通に食べられるでしょ?」

「別に、そういう意味じゃねーよ」

「じゃあどういう意味よ?」

「いや……俺の普通はピエールマルコリーニなんだからしかたねーだろ?」

おいおい跡部、ピエールマルコリーニってなんなのさ。

そんな横文字があたしに通用すると思ってんの?

どうせ一粒いくらって売ってるようなとんでもなく美味しい高級チョコレートだろうけど。

でも、それと比較するって惨い男だよ。

「ふん、どうせあたしはチョコ作っただけで家族会議が開かれるような女ですからね」

「は?」

「つーか、だったらなんで食べるのさ?」

「え、あ、いや……」

「人に作ってあげて喜ばれた料理は納豆キムチだけなあたしが作ったチョコが

 3時のおやつはマカロンな跡部の味覚に合う方が不思議だっつーの。

 食べてスッパイマンの味がしないだけマシだと思いな!」

「スッパイマン?」

「は?! 跡部、スッパイマン知らないの?!」

「なんだそれ食べられるのか?」

「ばぁーか! 食べられるに決まってんだろ、恋じゃあるまいし」

「……?」

「はぁ……もう良いよ」

馬鹿らしい。

違う星で生きてる跡部とは基本言語が違う。

言葉どころか何もかも。

もし恋が食べられるとしても、あたしは跡部だけには恋をしたくないや。

ちょっとそんなことを思う。

「おい、だからスッパイマンってなんだよ」

「知ったところで跡部が食べるようなことはきっと一生ないって。

 その跡部様好みのチョコ持ってさっさと帰りな」

しっしっ!、って払ってやると跡部はなんとも腑に落ちないって顔で立ち上がった。

でも、そこから動こうとしない。

「跡部?」

、ホワイトデー空けとけ」

「え、なんで?」

「……俺の家でピエールマルコリーニ喰わしてやる」

「はい? どうしてそうなる?」

「だって、さっきチョコ貰っただろ?」

「え、良いよ。別に跡部が勝手に食べただけであげた訳じゃないもん」

「っ……!」

おぉ、あたしよりも大きい眼が更に大きくなってる。

って、なんでこの人驚いてんの。

「美味いもん喰わしてやるって言ってんだからお前は俺の為に時間空けとけば良いんだよ! じゃあな!」

跡部は一方的に喚くと慌てて出て行ってしまった。

変な奴。

ま、美味しいものは食べたいから良いけど。

時間なら空けようとしなくてもたっぷりあるし。

でもやっぱ金持ちの俺様は何考えてんのか全然分かんないなぁ、なんて思いながら

行き場をなくしていた指をスカートの裾で拭いた。

最後のいっこだったトリュフを食べられてしまったから、と鞄の中を漁る。

ごちゃごちゃに放り込んであるお菓子たちのなかからスッパイマンを選んで取り出した。

これを知らない人間も世の中いるんだね。

しみじみ思いつつ、ひとつ摘んで口に放る。

「うん、美味い」

やっぱ食べられるものがあたしは好きだ。




























































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