台風一過





ごうごうと吹き荒れる風に震える窓ガラスを雨粒が叩く。

外の光景とは裏腹に部屋の中は穏やかで不思議な感じがする。

閉じ込められている限りとても安全だ。

「台風、あと少しで神奈川入るみたい」

カーテンを少し開けて、

とんでもない姿に変わってしまった街に見入っていたあたしに神がそう言った。

そちらに眼をやると神の形の良い後頭部と薄暗い部屋にちらちらと灯るテレビがあった。

ブラウン管上に各地域の実況やら

いつも暢気な口調のお天気お姉さんやら天気図やらが映る。

それを眺めながら神が渡してくれたタオルで

シャワーを浴びた後みたいになった髪をがしがしと拭く。

「そんな風に拭くと髪傷んじゃうよ」

「んー」

めんどくさそうに答えたあたしに神は呆れたのか苛立ったのか、

あたしの傍に寄ってタオルを引っ手繰ると優しく髪を拭く。

「なんかくすぐったい」

気持ち良くて眼を瞑る。

「神の部屋って綺麗だね」

「そうかな」

「少なくとも女であるあたしの部屋よりは片付いてるよ」

はめんどくさがりだからなぁ」

神の部屋は勿論片付いていて、それ以前に物が少なくてさっぱりしている。

初めて神の部屋を訪れて、ぐるりと見渡してから、

あぁ、神の部屋だなぁなんて漠然と思った。

たぶんここが神の部屋だと知らなかったとしても、やっぱりそんなことを思ったと思う。

「台風も悪くない」

「は?」

「台風が来なかったらたぶんあたし一生神の部屋なんて拝めなかったと思う」

「何それ」

「だってあたしと神、普通に喋るけどそんな親しいって程じゃないじゃん」

偶然帰りが一緒で、偶然台風が急速に近付いてきて、

偶然あたしの家より神の家の方が近かったから偶然神の部屋にお邪魔した。

そうじゃなきゃこの状況は説明が付かない。

あたしは神が好きだし、神も少なからずあたしを嫌っていないとは思うけれど

神とはそれ以上でもそれ以下でもない、って感じがするから。

「それ、ちょっと傷付くなぁ」

とかなんとか言いながら神が小さく笑う。

「それが事実。現実」

雨音が激しさを増してきた。

あと何時間したら帰れるんだろう、と思い、

初めて神の部屋に居心地の悪さを感じていることに気付いた。

そういえばあたしは親しくない人間の部屋に入ったことがない。

早く台風が過ぎれば良いのに。

ふと煙草が吸いたいと思った。



「じゃあ親しい関係になろうよ」



意味が良く分からなくて、いや、なんとなくニュアンスは伝わってきたのだけれど、

神の言葉だから理解出来なくて、あたしは眼を見開いてしっかりと神の顔を見た。

神の微かに笑んでいるような真顔。

それがぼやけてきて、神とキスしていることに気付いた。

「ね、。セックスしよ?」

急激に嫌悪感が襲う。

「えーっと……」

「何?」

「煙草吸いたいのよね」

「うち、禁煙」

「あっそ」

「うん」

「……」

「……で?」

「はぁ……」

溜息をひとつ吐く。

なんだか屈辱的で、神の手からタオルを奪い取って

視界を殺すようにそれを神の頭に被せ、軽くキスをしてみた。

「タオル取って良い?」

「神の顔見てると色々やりづらいんだけど」

「でもこれフェアーじゃないじゃない」

「そうだけどさぁ」

その言葉を了承と解釈して神はタオルを除けた。

、 何怒ってるの?」

「怒ってるんじゃない。憤ってるの」

「なんで?」

「あたしと神がこんな流れでこういうことするのってすっごい変な感じ。

 大体なんであたしが神とキスなんかしちゃってるのよ?」

「俺に訊かれてもなぁ」

「神はこんな成り行きであたしとしちゃって良い訳?」

「成り行きと言えば成り行きだけどとしたいなーって思ったから」

「台風の所為で頭可笑しくなってるんじゃない?」

「まぁ、良いじゃない。がそう思うならそれでも良いよ」

「あたし頭可笑しい奴となんてヤらない」



そうは言ったものの結局あたしたちはセックスした。

所詮男の性と女の性の引力には敵わない。

チクショウ。

「あーあー」

「何げんなりしてるの? 疲れた?」

「えぇ、疲れましたよ。それはもうその馬鹿みたいな体力によって疲れさせられました」

投げやりで刺々しい言葉も神は柔らかく吸収してしまう。

それはスポンジみたいに無抵抗な訳じゃないけど。

そういうところ、ちょっとだけ気に喰わない。

「後悔してる、とか?」

あたしは煙草の煙を細く吐き出しながら考える。

合理的に考えてみればこれはこれで良いような気もする。

外は暴風雨で帰れなくて、眼の前には良い男がいて、たくさんの時間を持て余していて。

セックス以外何するんだろうって感じ。

「別に良いんじゃない? 神のセックス、丁寧で好きだよ」

でも神とは何かが間違ってる気がする。

まぁ、今更どうにもならないけど。

、エロい」

「神のセックスがエロい」

「……」

「褒めてるんだよ」

神が笑いながら手のビニール傘をくるくると廻すのを一瞥する。

それからは黙って煙草を吸いながらビニール傘越しに流れる雲を眺めた。

一秒たりとも留まらない景色だから全然飽きない。

でもきっと客観的に見ればこんな自然よりも今のあたしたちの方がずっと面白いと思う。

主観的にだってちょっと笑える。



煙草が吸いたくて、神の家は禁煙だからベランダに出てみた。

でも雨は弱くなったものの風に煽られてこっちに吹き込んできて。

まぁ、これくらい濡れてもしかたないか、と煙草に火を点けようとしたら

なぜかベランダに立て掛けてあったビニール傘を神が手に取って、

楽しそうな面持ちでそれを開いた。

訝しげに見つめると、その視線に神は「こうすれば濡れないでしょ?」と得意げに答えた。

「そういう問題じゃなくてさ。いつもこんなことしてるの?」

「うん。外に出たいなーって感じだけどあえて出る気になれないってときは」

あたしは何こいつ……、とか思って呆れながらもそれを拒まず煙草に火を点けた。

でもさ、やっぱり可笑しな光景だと思う訳で。



「……トトロ」

「へ?」

「なんかトトロ思い出した。バス停で傘差して待ってるところあるじゃない? あれ」

「ふーん。トトロ好きなの?」

「別に。でも雨のシーン、なんか印象残ってる」

「あ、なんか分かるかも」

「あたし、雨好きなんだ」

「雨ってすごいよね。

 もしかしてこの雨粒、インド人の汗かもしれない……とか思わない?」

「神、そんなこと思ってるの?」

携帯灰皿に短くなった煙草を押し付けて、「でも……そうだね。すごいね」って続けたら

神が嬉しそうに笑う気配がした。

それにつられて笑んでしまいそうになった自分を誤魔化すように乱れた髪を掻き上げて、

ベランダを後にした。



「じゃあそろそろ帰るね」

「え? 帰っちゃうの?」

「だって雨も小降りになったし、することないし」

「夕飯食べて行きなよ」

「遠慮する」

「そう」

「雨宿りさせてくれてありがとう」

「もう暗くなってきたから送るよ」

「雨降ってるから良い」

「……」

「じゃあね」

背を向けてドアノブの冷たさに触れると安心した。

あたしはここから逃げ出したいのだろう。

「待って!」

掴まれた手の力に驚いた。

振り向くか否か一瞬迷って……振り向いた。

視界に入った神はいつものようには上手く笑えていなかった。

なんだか心が痛かった。

「……痛いよ、神」

「あ、ごめん」

「……何?」

「……」

「神?」

、帰らないでよ」

「何それ? 意味分かんない」

「本当は分かってるんでしょ。傍に……いてよ」

こんなのありえない。

全ては台風の所為に過ぎない。

そしてそれでも良いと言ったのは神だ。

初めてこの部屋に足を踏み入れたときのようにぐるりと部屋を見渡してみた。

あぁ、やっぱり神の部屋だ。

そこは変わらず神の部屋で、馴染めなくて居心地が悪い。

あたしはここにいるべきではない。

「……神、台風はもう過ぎたよ」



結局あの出来事が何だったのか未だに分からない。

別に愛だなんてそんなものは無かった、筈だ。

それでもトトロの雨のシーンを見る度ビニール傘越しの景色を思い出し、、

雨を眺める度にインド人の汗かもしれない……と思う。

神とは相変わらず普通に喋る。

でも、当たり前なことに、あれから一度もあの部屋には入っていない。














































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