夏と狂気





今日はほんとに暑い日だ。

陽射しが強い。

この気温の所為であたしの食欲は一気に萎え、

しかし肉体は忠実にあたしに空腹をもたらした。

どうしようか考え、そういうときは煙草と炭酸飲料だと思い

細い三ツ矢サイダーの缶とマルボロを手にベランダに出た。

暑い、とても。

じりじり焼ける感じ。

これ以上暑くなるのは嫌だけど日焼けするのはもっと嫌で、

仕方無く羽織るものを持ち込んだ。

それでもジーパン越しに肌が焼ける感覚する。

でも結構この感覚は嫌いではなかったり。

3本の煙草。

静か過ぎる住宅街。

蟻が忙しなく働いている。

夏は凶器だし狂気だ。

煙草の煙が温まった空気に中和していく様を眺めながら思う。

大嫌いな、憎むべき季節はもうそこまで来ている。

せめて梅雨にでもなって欲しいかもしれない。

あたしは長雨が嫌いじゃない。

晴れていると気が滅入ることばかり頭に浮かぶ。

例えば、いや例えるより確実に、神宗一郎のこと。

あたしは漠然と宗一郎にまつわるエトセトラを考える。



あたしと宗一郎は中学時代からの友達だ。

普通に仲の良い友達。

あたしは宗一郎を好きになった。

あまり宗一郎のことなんて知らなかったけれど、

彼はあたしにとってとても特別な人間であると感じてしまった。

そしてそう感じてしまった以上、そこからは逃げられず、

彼に黙ってやり過ごすだなんてことも不可能だった。

一言、「好き」と伝えた。

宗一郎はそのことを初めから知っていたんじゃないかという自然さで「うん」と言って頷き、

あたしを始め多くの人々を受け入れるときに浮かべるいつもの笑顔をあたしに向けた。

あたしと宗一郎は高校が離れ離れになった今も普通に仲の良い友達だ。

あたしたちの関係は何も変わらないまま。



ジーパンの後ろのポケットに突っ込んであるケータイが鳴り出す。

取り出してディスプレイを見ると『三井寿』の文字がそこにあった。

「はい、もしもし」

『もしもし、さんっすかー。桜木花道っす』

「え? あぁ、うん」

『今、NBAのビデオ見にみっちーの家にいるんすけど

 さっき駅の辺りでちょうど店から出てきたモンチッチとばったり会ったんすよ!』

「……そう」

『これは是非さんに報告せねばと思いまして!』

「うん、ありがとう」

さんに宜しくって言ってたっすよー』

「そう」

『今度いつ会うんすか?』

「……さぁ?

 お互いにバスケ部で忙しいじゃない。

 あたしはマネージャーだからまだ良いけど宗一郎はキャプテンだし、自主練もあるし。

 宗一郎に負担掛けてまで会うのは嫌だし」

『さすがさん! 相手のことをいちばんに考える。それでこそ純愛っす』

「桜木くんはいつもオーバーね」

『そんなことは……』

「はいはい。

 あ、三井先輩に大学生は暇なんだからたまには遊びに来るように言っておいてね」

『分かったっす』

「じゃあ、また明日学校で」

『うっす、じゃあ』

ツーツーツーと電子音を発するそれを数秒間見つめて。

「宜しく、ね」

ひとりごちて、ケータイを元の場所に捩じ込んだ。



桜木くんはあたしと宗一郎はとても純粋な関係で好きだと言う。

ある意味あたしは恋愛の神様的存在として崇拝されている

彼にも特別な存在――晴子ちゃんがいるからだろう。

あたしと宗一郎がこれまで辿った軌跡は、といっても軌跡と呼ぶには変化に乏しいけれど、

それは彼にとって小説であり映画であるそうなのだ。

でも全然そんなのは違うと思う。

ありふれた恋愛感情の行き着く先の最悪な場合みたいな、そんな感じがする。

全く以って美しさの欠片も無い。

痛い結末を迎えるような恋愛は案外世の中にありふれていて、

そのひとつに似ていると思うのだけれど、

あたしたちの恋愛、いや、あたしの恋愛はそれとはまた別。

桜木くんにとってこれが小説であり映画であったとしても、

決して結末の無い物語などどこにも存在しないのだ。

そしてあたしたちの場合、とりあえず結末は当分やってこない。

そういう恐ろしいものに対して彼はよく純粋視出来るな、と不思議だ。

「恐いな……」

なんでみんな恐がらずに応援したりしてくれるのか訳が分からない。

誰も止めてさえくれない。





背にしていた鉄柵から身を乗り出す。

「また煙草吸ってるの?」

「うん」

彼が肩を竦める。

の好きな駅前のアイスクリームショップのレモンシャーベット買ってきたよ。

 一緒に食べよう」

「素敵」

陽に照らされた宗一郎がとても眩しくて眼を細めた。

「開いてるから勝手に上がって」

「うん」

煙草を揉み消して、それを空いた三ツ矢サイダーの缶に突っ込んだ。

あたしと宗一郎は頻繁にとまでいかないけれど、結構な頻度で会っている。

それはほとんど宗一郎が気紛れにあたしの家にふらりと遊びに来るだけなのだけれど。

なぜかそのことを桜木くんには言えない。

ドアノブの音に振り向くと宗一郎がいて、彼は一言「煙草臭い部屋」と呟いた。

「宗一郎、汗掻いてる」

「今日は真夏みたいに暑いからね」

「うん、気持ち悪いね」

「そう? 俺は夏って嫌いじゃないけど」

「あたし、嫌い」

脚だけベランダに放り出して、ふたり窓辺に腰掛けてレモンシャーベットを食べる。

食欲の無かったあたしの身体に

レモンシャーベットは心地良い冷たさを持って吸収されていく。

爽快な甘味と酸味が舌の上。

不意に宗一郎にキスしてみようかと思い、そんな馬鹿な考えに頭を振る。

これだから夏が嫌いなのだ。

可笑しくなる。

「あ」

「ん?」

小さな声に宗一郎を見ると、陽射しで融け掛けのレモンシャーベットが

スプーンを伝って宗一郎の長い指を濡らしていた。

「ドジ」

「酷いなぁ」

あたしは笑いながら手の中にあるカップからもうひとさじレモンシャーベットを掬った。

そしたらそれはもうほとんど液体で、同じようにあたしの指を汚した。

「……ドジ」

宗一郎が笑った。

「あーあー、指ベトベトだよ」

顔を顰めてぼやきながら自分の指を見つめる。

、その手貸して」

「ん?」

「良いから手、貸して」

訳が分からず手を差し出した。

すると宗一郎は気持ち悪くなった指を薄い舌で舐めた。

呆然としているあたしを宗一郎は楽しそうに笑って、それを口に含んだ。

あたしは初めて神宗一郎という存在が恐いと思った。

愛情に秘めて孕む憎悪とか、なんとなくそれに近いものは感じていたけれど、

本当に初めて神宗一郎を心から恐いと思った。

とてもあたしには抱えきれないような。

宗一郎はよくあたしを恐がらないな、と思う。

あたしの宗一郎が好きだという感情。

あたしは自分でも恐いと思う。

その感情を生み出す根源である彼を恐いと思う。

そしてあたしの感情を放置してしまう彼を、恐いと思う。

「ねぇ、

あたしの指を離して、宗一郎は自分の手をあたしに差し出した。

「綺麗にして」

あたしは陽射しの暑さに目眩を覚えながら、宗一郎の指を咥えた。



もうすぐ狂気の季節だ。














































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