誰も知らないこたえがこの手に





「準太ってシスコンだよな」

誰かと親しくなると必ずといって良いくらいそう言われる。

言い回しに多少の差があるにしろ、その内容にズレは全くない。

兄妹が仲良くて悪いなんてことない。

けれどその言葉に高校生にもなって、というニュアンスが含まれていることくらい分かる。

そんなことを言われる度に俺はいつも同じ言葉を返す。

「そんなんじゃない」

そんなんじゃないんだよ。

じゃあなんなのかと返されても、答えは俺も、誰も、知らないのだけれど。



昼休みの喧噪の中、味気ない色彩の弁当にがっつく。

そのなかで唯一鮮やかさを放っていた卵焼きはとっくに胃袋の中だ。

ただでさえ食べても食べても満たされない驚異の食欲を誇る年頃なのに、

毎日のように野球部の練習で摂取したカロリーを片っ端から消費している俺にとって、

弁当の見栄えなんて二の次。

とにかくボリュームがあって、なるべく長時間のあいだ空腹から逃げられれば基本的になんでも良い。

それをよく分かっている母さんの弁当は常に合格ラインを保っている。

ひとつ問題があるとしたら、卵焼き。

砂糖をたっぷり入れて焼いたそれは甘くて、おかずになりゃしない。

けれど、は甘い卵焼きが好きだから。

俺の弁当で手一杯な母さんがそれだけはのこと考えて作っていることを知っている俺が

それに対して文句を言える筈がない。

「そんなにがっつくと消化に悪いよ?」

眼の前で可愛らしい弁当を摘む彼女が呆れたように言う。

本当ならもこういう弁当を食べられる筈なんだよな、とそれを盗み見る。

「良いだろ、別に」

やっと出来た彼女に対してこういう言い方はどうかと思うけど、ほっといて欲しいという気持ちが勝る。

あの練習量を目の当たりにしているマネジの彼女にそんなことは言われたくない。

今は一刻も早く空腹を満たしてやらなければ。

それに、彼女と付き合うことを決めたのにはそういう変な気を遣わない関係が心地良いという理由もある。

桐青のエースというだけで今まで告白は散々受けてきた。

何も知らない相手とは付き合えないからそれは全て断ってきた。

けれど彼女に「好きだ」と言われたとき、彼女ならば……と思えたのだ。

「高瀬のばか。ちゃんにチクってやるから」

最後の単語にぴくりと反応して彼女の顔を見ると、

見透かすような瞳がそこにあって、なんだか知らないけど眼のやり場に困った。

「大好きな妹に彼氏出来たからって拗ねるのやめなよ」

「は?! 拗ねてねーよ!」

「拗ねてるじゃん。高瀬ってば最近ほんと不機嫌だもん」

は関係ない」

「嘘だ。高瀬のシスコン」

「そんなんじゃない」

そんなんじゃないんだよ。

「早く妹離れしてちょっとは彼女のこと構ってよね」

彼女は溜息をひとつ吐くとそう言って、喉を鳴らすように笑った。

似てるな、とふと思った。







ドアを2回ノックして、ノブを回す。

ドアは開かない。

、兄ちゃんだけど。もう寝たのか?」

返事が返ってこないことも分かっているけど、問い掛けずにはいられない。

俺と違って夜更かしが多く、遅刻ギリギリに起きることも稀ではないが俺よりも早く寝ている訳がない。

帰って来たときに家の外から部屋の電気が点いてることも確認してる。

は起きてそこにいるのに、俺を拒むように扉を閉ざし、沈黙する。

それが最近の日常になりつつある。

「お兄ちゃんなんて大嫌い!」

あれからだ。

にそう言われて、傷付かなかったと言えば嘘になる。

けれど、それが真実ではないことはずっと一緒だった俺がいちばん分かっている。

ただ、今までと違っては確固たる決意で俺と距離を計っていた。

だから今日も同じことの繰り返しだとほとんど諦めていた俺は、

ドアがあっけなく開いたことに酷く動揺してしまった。

?」

名前を呼んだけれど反応はなかった。

ドアを押して恐る恐る部屋に入ったが、その姿を見つけるなり張り詰めていた気が一瞬にして緩んだ。

はベッドの上に小さく丸まって寝ていた。

「おい、お前風邪引くぞ?」

声を掛けても目覚める気配はない。

溜息を吐いて、羽織っていたパーカーを脱いでの身体に掛けてやった。

ベッドに腰掛けて部屋を見回す。

特に変わった様子はない。

まぁ、たかだか1ヶ月程度の月日で何かが変化するとも思えないけれど、なんとなくほっとする。

これで彼氏とのツーショット写真なんかが飾られていたりしたら心中穏やかでない。

そう思って、なんだか後ろめたい気持ちになって頭をがしがしと掻いた。

だって年頃になれば彼氏なんかが当たり前に出来て、

俺の知らない世界へ行ってしまうことなんて分かっていた。

俺だって彼氏が出来る気配のない妹が心配だった筈だ。

それなのに実際そうなってみると、複雑な気分で堪らない。

無防備に眠るを見つめる。

今では憎まれ口も利くその顔も、瞼を閉じているとあどけなさが残っていて、なんだか胸が詰まる。



あの一件について、俺は利央に謝らなかった。

けれどその翌日、利央は何事もなかったかのように俺の元へやって来て泣き付いた。

「準さん! 俺、どうしよう!」

「は? なんだよ、いきなり」

俺は戸惑いつつも絶望的な顔をした利央に返した。

「俺、完全失恋だ!」

「あ?」

「諦めずに想い続ければいつかも振り向いてくれると思ってたのに!」

その必死な形相に吹き出しそうになって大変だった。

だっては最初から利央なんて眼中になかったのに、今更そんなことを言ってるだなんて。

俺は急に機嫌が良くなって、「俺の妹に手ぇ出そうなんて100万年早ぇんだよ」って言ってやった。

そしたら「じゃあアイツのことぶん殴ってを奪還して下さいよ!」なんて言われて、

俺は間抜けに問い返した。

「そっか、やっぱ準さんには言ってないんだ……」

「だから、なんだよ?」

、彼氏出来ちゃったんすよ!」

頭の中が空っぽになった。

に彼氏が出来た。

じゃあ俺はどうなってしまうのだろう?

そんなことをろくに働かない思考の片隅で思った。

「え、なんで……」

なんでじゃないだろ、って冷静になってみれば思うのだけれど。

そのときの俺は混乱状態にあって、そんなことを口走っていた。

「なんでって、そんなの準さんの所為に決まってるでしょ?!」

それなのに利央は律儀に、でも、なんでそんなことも分からないんだとばかりの口振りで答えた。

「なんで俺の所為になるんだよ」

「そういうところがいけないんすよ」

「俺は何も……」

「準さんのバカ!」

普段なら絶対に手が出てるところなのに、不貞腐れるように言う利央の顔をぼんやりと見つめていると、

追い打ちを掛けるように利央は言った。

は、本当はこんなの望んでないのに……準さんの所為なんっすからどうにかして下さいね!」



俺の所為って、どういう意味なのだろうか。

まったくもって意味が分からない。

けれど、もしが望まない恋をしていてそれで傷付くのならば、どうにかしなければならない。

だって、は俺の守るべき存在なのだから。

「……ちゃん」

が寝返りを打ち、慣れ親しんだ単語を小さく紡いだ。

「お兄ちゃん……」

伏せられた瞳から涙が零れる。

伝う涙を指で拭ってやる。

……」

なぁ、全部兄ちゃんの所為なのか?

俺が、お前を苦しめてる?

どうして?

俺は何を犠牲にしてでもお前を守りたいのに。

それを世ではシスコンと言うのだろうか。

いや、そんなんじゃない。

そんなんじゃないんだよ。

を守らなければ。

俺はの兄なのだから。







昼休み、さっさと空腹を満たすと俺は一目散に和さんのところへと向かった。

和さんは俺の落ち着かない様子から相談事だと悟ったようで、場所を移してくれた。

部室の長椅子に腰掛け、和さんが口を開く。

「彼女のことで何かあったか?」

「へ?」

「あ、違ったか」

「別に彼女とは何もないっすよ」

何もなさすぎるくらいだ。

付き合ってるといっても、以前の関係性と何が変わったのか分からないくらい。

こんなので付き合ってると言えるのか疑問だ。

問題なのは、それに対して焦りとかそういう類の感情が湧かないこと。

今だってのことで頭がいっぱいで、まだ弁当を食べている彼女を置いて和さんに相談しに来てしまった。

これじゃあ彼女に構えって言われてもしかたないよなぁとは思うけれど、今は本当にそれどころじゃない。

「ってことはちゃんのことか。ちゃん、彼氏出来たらしいな」

「まぁ、っていうか和さんなんで知って……あ!」

「いや、利央じゃなくて」

俺の頭に浮かんだ人物は即座に否定され、

「慎吾がちゃんに彼氏が出来たって嘆いてたんだよ」と苦笑いで告げられる。

中学の頃、一目でを気に入っていたから慎吾さんのことは警戒していたけれど、

その後ちょっかいを出してる様子はなかったから安心してたのに。

「呆れた。あの人、まだに眼付けてたんすか」

「まぁ、そんな顔すんなよ」

「んなこと言ったって慎吾さんっすよ? 無理です……」

「でも準太は結局相手が誰でも気に喰わないんだろ?」

そう言われてしまうと返す言葉がなくて、気まずさに視線を彷徨わせた。

そんな俺に和さんが小さく笑う。

「心配か?」

心配、といえば心配だ。

けれど俺が気掛かりなのはそういうことではなくて、もっと根本的な部分。

俺の所為とかいうのはとりあえず置いとくとして、

利央の言うことを信じるならば、は望まない恋愛をしている。

そんなことを俺が眼を瞑っていられる訳がない。

「なんかアイツ、好きでもない男と付き合ってるみたいで」

当然の反応だけれど和さんは眼を瞬かせた。

「どうにかしなきゃと思うんすけど……和さんはどう思います?」

「どうにかって、別れさせるってことか?」

「そうするべきだと俺は思ってます」

それ以外に考え付かない。

「だって、納得出来ねぇ……」

が誰かに傷付けられるだなんて。

「うん……でも、それは準太がだろ?」

「っ……まぁ、そうですけど……」

「お前が妹を心配する気持ちは分かる。

 でも、ちゃんももう子供じゃないんだから準太がどうこうする問題じゃないんじゃないか?」

「だけど……」

「そろそろ妹離れして、いい加減彼女のことも考えてやれよ」

呆れたように言われて、曖昧に返事をする。

和さんの言ってることは尤もだ。

彼女のことも大切にするべきだとは思う。

初めて、このひとならば愛せるんじゃないかって思えた相手なのだから。

だけど、俺にとって大事なのは彼女じゃなくて、どうしてもだ。

アイツは強がりだけど本当はすごく弱くて脆い。

このままじゃきっとは泣く羽目になる。

いや、もう泣いているような、そんな気がするのだ。

それなのにこの手を離してしまったらどうなってしまうのか。

自分の手を見つめる。

「そういえば思ってたんだけどよ、彼女、どことなくちゃんに似てるよな」

「え……」



に、似てる……?



「外見は似てないんだけど口振りとか、雰囲気とか。あと特に笑い方な」

「……」

「シスコンだって言われてもしかたないかもな」

「……」

「……準太?」

どうしてだろう。

人間は一度気付いてしまったことからは逃れられない。

だったらどうして逃げたくなるようなことにまで気付いてしまうのだろう?

それがどんな事実だとしても、消せはしない。

どうして彼女ならば愛せるのではないかと思ったのか、分かってしまった。

視線の先の手のひらが微かに震えている。

今まで何もなかったのに、確かにそこにある。

無意識に抱え込んでいたその重みに俺は恐くなった。

俺はを守る兄でありたかった。

その気持ちに偽りはない。

だけど俺は、を守れる唯一の存在でありたかった。

その居場所を誰にも奪われたくなかったんだ。

一人の男として。

眼を瞑って深呼吸をする。

すると「お兄ちゃん」と屈託なく笑う幼いの姿が浮かんで、不思議と恐怖は雪のように溶けていった。

代わりにじんわりと温かくなって、笑いたいような泣きたいような気持ちになる。

血が繋がった兄妹でそんなのってないよな。

こんなの可笑しい。

だけど、今更恐れることなんてない。

俺はあの日、神様が俺に手を与えた意味を知ったのだ。

「そんなんじゃないっすよ」

手のなかにあるものを失わないようにぎゅっと握り締める。

「そんなんじゃないんです」

そんなんじゃなければ、じゃあなんなんだろう。

その答えは、ずっと前から俺の手にあった。



幼い頃、喧嘩してが泣きながら家を飛び出したことがある。

そのうち帰って来るだろうとほっといたけれど、はいつになっても帰って来なかった。

陽が傾くにつれて俺はどんどん不安になっていった。

はどこにいるんだろう。

寂しい想いをしてるんじゃないだろうか。

どうして追い掛けてやらなかったんだろう。

俺は家を飛び出して、幼いながら必死に走って探した。

途中で転んだれど、痛みなんて気にならなかった。

きっとは泣いてる。

それが俺を突き動かした。

を見つけたときには既に陽が落ち始めていた。

草むらの影で震える小さな身体に駆け寄って名前を呼ぶと、は「お兄ちゃん……」とか細い声で呟いた。

「馬鹿! 探しただろ?!」

「お兄ちゃん、ごめんなさい」

泣きながら抱き着いてきたを受け止めて抱き締め返すと、俺も泣きそうになった。

「俺もごめんな。こんなところで恐かっただろ」

恐かったのは俺も同じだった。

を失うんじゃないかって、ずっと恐かった。

「お兄ちゃん」

それを安心させるかのように、が屈託なく笑って、俺を呼んだ。

頼りないくらい小さな手が、俺の手を精一杯握り締めた。



俺はあのとき、屈託なく笑うを見て、この手はを守る為にあるのだと、

この手は世界でいちばん愛しいひとを守る為に神様が与えてくれたのだと、俺は知った。

小さくノックされて、手のひらを見つめていた視線をドアにやる。

「お兄ちゃん」

が俯きがちに部屋に入って来る。

昨日俺が掛けてやったパーカーが差し出され、受け取る。

「これ、ありがとう」

は戸惑うように口ごもり、すぐに「じゃあ、おやすみ」と背中を向けた。

その手を掴む。

身体がびくりと震えたのが伝わった。

慣れ親しんだ背中が危うげに映る。

、もう少しここにいれば?」

「……嫌だよ。お兄ちゃんなんて大嫌いって言ったでしょ」

「お前、ちっちゃいときから変わんないな。嘘吐くのが下手で、泣き虫」

何かが解けていくように、ゆっくりと、は振り向く。

「お兄ちゃんって、ずるいよね」

そして、泣きながら喉を鳴らすように笑った。

誰も知らない答えがこの手にある。

だから俺は、それを誰にも奪われないように守るしか出来ない。




























































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