それが正しいなんて誰が決めたの?
もう、それはずっと前からそこにあったのだ。
俺達は臆病で、卑怯で、
それを受け止めることなんて出来ず、それでいて葬り去ることも出来ずにいただけだった。
そんなの分かってたっつーの。
でも、しかたないじゃん。
異常だってことくらい分かっているし、分かっていてもどうにも出来ないことだって時にはある。
だから遅かれ早かれ、こういう瞬間はいつか訪れていたんだと思う。
ゆっくりと瞼を上げる。
時間が止まってしまったかのように日吉は呆然と俺を見つめている。
俺の頬に触れたままの右手の指先が冷たい。
「ひよ、し」
喉の奥がやけに乾いていて、上手く声が出せない。
掠れる。
それでももう一度その名前を呟く。
「日吉」
ねぇ、どうする?
結局こうなることは分かってた。
俺も馬鹿じゃない。
空気ぐらい読める。
問題はここからなのだ。
今、ついに第一歩を踏み出してしまった俺達の前には無限の選択肢が広がっている。
俺達、どうしようか?
きっと俺の問いかけは日吉に伝わったと思う。
右手がぴくりと震え、力無く下りていった。
体温が去った場所がすうすうして、そっと自分で触れてみたら俺の指先の方が冷たくて吃驚した。
頭の中はこんなに冷静なのに、身体は張り詰めた空気を敏感に察知しているようだ。
「」
日吉は視線を不自然なくらい自然に外して、沈黙を破った。
「忘れてくれ」
自分の言葉に傷付いたのか、眉根を切なく歪める。
なんでお前が傷付くんだ。
ずっと保ってきた均衡を破って、俺にキスしたのはお前じゃないか。
それなのに、そんなことを言うお前は酷い。
俺の方が泣きたいくらいだよ。
でも、俺は泣かなかった。
だって、幾つもある未来からそれを選ぶだなんて日吉らしすぎる。
俺は泣かなかった。
その代わりに小さく笑った。
日吉が訝しげに俺を見る。
「嫌だ」
俺を映し出していた眼が大きく開かれる。
「俺、忘れるのは嫌だ」
幾つもある未来からそれを選ぶだなんて俺らしすぎて泣けるだろ?
でも、零れ落ちたのは涙じゃなくて溜息だった。
失礼だな。
まぁ、気持ちは分からなくもないけれど。
「お前、嫌な奴だな。絶対性格歪んでる」
「日吉にだけは言われたくないよ。心外だ」
「じゃあ、忘れろよ。そうじゃないと俺は……」
いつもまっすぐ射抜いてくる瞳が揺らぐ。
そんな顔するなよ。
お前にそんなの似合わない。
「お前って勝手だな。
自分からキスしておいて忘れろだなんて、だったら最初からするな」
「……悪い」
「もう良いよ。全部忘れてなかったことにしてやるから」
日吉はきっと、世界を壊せない。
自分を誤魔化すことを嫌うクセに、彼は常識的過ぎる。
忘れさえすれば俺達は元通り親友の二人に戻れる――なんてこと、ある筈がない。
人間は複雑に出来ている。
無理だ。
もし、また隣にいることを選んだとして、
同じ過ちを繰り返してまた傷口を抉る羽目になるのだったら、そんな無意味で悲しいことはない。
「日吉の望み通り、忘れてやる」
「……」
「でも……」
そっと日吉の頬に触れると、青白いのに温かで、皮膚の裏側で巡っている血流を感じた。
出来ることなら殺してやりたいな、と思った。
でも出来ない俺は、日吉の唇に自分のそれを重ねた。
日吉は再び呆然と俺を見つめている。
「忘れてくれ」
お前が望むなら、俺は忘れてやるよ。
何もなかったかのように日常に戻って、でも少しずつお前から離れていって。
だけどお前は忘れられるのか?
世界を壊せない代わりに、俺を失うのか?
本当にそれで良いのか?
俺への想いはそんなもの?
俺は、お前がいてくれればそれ以外を望むことくらい放棄出来るよ。
「じゃあな、日吉」
俺は日吉に背を向ける。
日吉は俺を追いかけてきてくれるだろうか。
まぁ、アイツにこんな賭けは無謀かもしれない。
それでも、俺はその僅かな可能性を願わずにはいられない。
ねぇ、日吉。
お前、どうするの?
世界と俺、どっちを失うことがお前にとって正しいの?
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