不言実行





練習を終えたばかりのロッカールームは熱気が立ち込めている。

夏のような陽射しのなか動き回っていた為に皆滴るように汗を掻いていて、

そんな男共が犇めき合って着替えをしているのだからそれは当然だ。

けれどそんななか、は汗すら涼しげに淡々と制服へと着替えている。

俺は着替えもせずタオルを頭の上に被せてアイツの様子を窺った。

その空気の熱っぽさとは関係ないような顔をしているを盗み見ながら、

挨拶をして部室から出ていく部員達に適当に言葉を投げる。

「日吉先輩、お疲れ様です」

も鞄を肩に下げると俺に向かって頭を下げてきた。

その顔は妙に冷めていて、無機質に映る。

「あぁ。大会前だから怪我のないよう気を付けて帰れよ」

「はい」

その後ろ姿を見送ってから俺は微かな溜息を洩らし、ユニフォームの釦に手を掛けた。

俺は最近、が気になってしかたがない。

気付くと眼で追っている自分がいる。

は2年生で唯一の正レギュラーだ。

特にパワーがある訳でもスピードがある訳でもない。

ましてや特別派手な技がある訳でもない、あまり目立たない選手だと思う。

けれどそれぞれがバランス良く揃っていて、ひとつひとつのショットの精度も高い。

緩急をつけながら相手の心理を読んで上手くゲームを自分のものにする手腕は

地味だけれど凄いと俺も素直に認めている。

2年のなかではずば抜けて強いと断言出来るだろう。

だからアイツは周囲に次期部長と評されている。

俺も任せるならだと思う。

けれど無口で、無表情で、無愛想で、上に立つ者としてはどうなのかだいぶ不安を感じる。

まぁ、俺がそんなこと言えた義理ではないけれど。

しかし少なくとも俺にあってアイツにないものがあるのだ。

「日吉さ、最近どうしたの?」

「あ?」

ネクタイを締めながら顔を上げると既に制服姿になった長太郎がパソコンに向かっていた。

部室にはもう俺と長太郎しか残っていなく、時折マウスをクリックする音が部屋に響く。

ディスプレイには開催中のウィンブルドンの戦績が並んでいる。

そんなの見てる暇があったら帰って身体を休めろと普段なら小言を言っているところだ。

けれどその前の言葉が気になったからとりあえず見逃してやることにした。

「最近妙に気にしてない?」

「何が?」

長太郎が怪しい笑みを浮かべて振り向く。



意味をたっぷり含んだ声色と笑顔に無意識に顔を顰める。

「もしかして惚れた?」

想像通りの展開に俺は呆れながら、「馬鹿か」と呟いてロッカーを閉めた。

「お前と違って俺にそういう趣味はない」

「でも最近異様にのこと気にしてるじゃん」

「まぁな」

「あ、否定しないんだ」と長太郎が笑った。

ソファーに腰掛け、練習で疲労している身体を沈める。

気を抜いたら寝てしまいそうだ。

夏の大会に向けてより厳しさを増した練習で

思っていた以上に身体が酷使されているようだった。

「実際気になってるし」

「じゃあ、やっぱ日吉はが好きなんだよ」

「ちゃんと自覚したら言って。俺相談乗るし!」、なんて

勝手に話を進めて楽しそうにしている長太郎にキレて、

傍らにあったクッションを思いっきり投げ付けたら間抜け面に見事にヒットした。

ばーか、ざまぁみろ。

長太郎は「何すんだよ〜」と拗ねた声を出して

前部長の置き土産であるそれを俺に投げ返してきた。

ヒョウ柄……何度見ても趣味悪ぃ。

けれど、趣味はまぁおいといて、あの先輩はやっぱり凄い人だったと思う。

ヒョウ柄のクッションを放り出して、俺は鞄からノートを取り出して開く。

そのノートにはレギュラー・準レギュラーのデータが事細かに記してある。

練習後はこれを見ながら今後の方針を考えるのが部長になってからの日課だ。

俺はあの人みたいに器用ではないから、こういう日々の積み重ねが重要だった。

200人の頂点に立つということはこういうことなのだ。

そう考えるとやっぱり次期部長には不安がありすぎる。

「別に怒んなくても良いじゃん。日吉はもっと素直になった方が良いよ」

「だいぶ丸くはなったけど」と、長太郎は余計な一言も忘れない。

「気になるとは言ったけどそういう意味でとは言ってねーよ」

「恋愛として気になる以外に何があるの?」

「部長として、だ」

「部長として?」

「もうすぐ大会で部内の雰囲気もだいぶ変わってきただろ?」

「うん、最近みんなやる気満々だよね」

夏の大会はもう眼の前に近付いてきている。

部内の雰囲気もそれに応じて徐々に変わってきていて、

誰もが勝ちたいという意欲を滲ませて練習に励んでいる。

それなのに、アイツは何も変わらないでいつものように淡々と練習をこなしている。

まぁ、人それぞれだとは思うのだけれど、

やっぱり部全体の士気を高めたいし、それは部長としての務めだと思う。

「それなのにアイツは大会を意識している様子がない。

 基本的にはなんか淡々としてるだろ?

 別にやる気がないっていうのとは違うけど、テニスへの情熱を感じねーんだよ」

テニスへの情熱、とからしくない発言に一瞬恥かしくなったけれど、

長太郎はそんなことは気にせず大きく頷いた。

「それは言えてる。ってクールだもんなぁ」

「だから気になってるんだよ」

「部長として?」

「あぁ」

お前しつこいな、という言葉はとりあえず飲み込んだ。

「それに大会だけじゃなくて今後のこともあるからな」

俺達が引退したら次の部長はに任せたい。

部長に向き不向きかはこの際は気にしないことにする。

なってみれば自覚も芽生えるだろうし、

俺ですらなんとかやってこれたのだからどうにでもなるだろう。

けれど情熱がないのは困る。

テニスが好きで、勝ちたくて、上に行きたくて。

そういう熱い闘志がない人物が上に立っては

伝統のように強さを誇ってきた氷帝テニス部もおしまいだ。

俺はそれを跡部さんから受け継ぎ、守ってきた。

そして夏が終われば、今度は俺がそれを誰かに受け継いでもらい、

守っていってもらわなければならないのだ。

「大会のことも然りだけど、次期部長としてそろそろ自覚してもらわないとな」

「うん……そうだね」

長太郎は確実にやってくる終わりのときを思って、感慨深く頷いた。

俺達はもう、そういう季節を迎えていた。

「どうすればアイツがその気になってくれるかが問題なんだけどな」

思わず溜息が洩れる。

長太郎の言葉はあながち間違っていなくて、

俺は部長になってから余裕が出来た所為かだいぶ柔らかくなったと思う。

部員達とも会話が成り立っているし、視野が広くなった。

けれどこういうときにどうすれば良いのかは分からない。

部長としてはまだまだ役不足だ。

「うーん……あ!」

「ん?」

「ねぇ、こういうときは先輩達のやり方を倣ってみれば良いんじゃない?」



この時期は天候が不安定だ。

昨日はあんな夏日だったというのに今日は今にも雨粒を落しそうな曇り空だ。

雨が降ることを考慮して、ウォーミングアップを終えてから個別のメニューを指示する。

いつもだったらには筋トレをさせるところだけれど、アイツには指示を出さなかった。

「日吉先輩」

部員達が散っていくなか、が指示を仰ぎにやってきた。

その顔はあいかわらず何も語らない。

「俺は……」

、俺と試合しろ」

は言葉を止めて瞬きを数回繰り返した。

「部長とですか?」

「あぁ。大会前だから軽くで良い」

「……分かりました」

俺とがコートで向かい合う。

審判席に座った長太郎が眼で合図してきて、俺は小さく頷いてアイツを見据えた。

闘志がないならそれを引き出してやるまでだ。

俺も長太郎も先輩達と戦うことによって更に上を目指そうと火を付けられてきた。

俺がその無表情を崩してみせるから、お前にはもっと上を目指して欲しい。

「サーブはお前からで良いぞ」

とは戦ったことがない訳ではないけれど、ここしばらく打ち合っていない。

こうしてネット越しに向かい合うのは随分久しぶりだった。

が数回ボールを弾ませて俺を見据える。

そして一瞬、微かにだけれどが不敵に笑ったように俺には見えた。



――



汗が雨に混じって額から零れ落ちる。

向かいで構えているが肩で息をしているように見えるが、

雨足がどんどん強まっていく所為で視界が邪魔される。

理性ではもう試合を止めなければいけないことは分かっているが、

感情がそれを振り切ってラケットを離すことが出来ない。

こんなところで終えて堪るか。

絶対に勝ってやる。

がボールを宙に放ったのが見えてラケットを思いっきり引いたときだった。

「ふたりとも、もうやめなきゃ駄目だ」

後ろに構えた俺の腕が強く掴まれた。

テニスボールが俺の隣をすり抜けていく。

振り向くと樺地が立っていて、その後ろで長太郎がおろおろしていた。

コイツ、樺地に告げ口しやがったな。

俺は舌打ちをして、ラケットを持っていた腕を下ろした。

もそれに伴って構えるのをやめ、ネット際に寄る。

俺が近付くと握手を求めて手を差し出してきた。

「おい、。どういうつもりだ?」

「何がですか?」

「お前、本気だっただろ」

試合は第9ゲーム迎えてまもないところで中止になった。

5−3で俺の方が押してはいたが、正直気を抜いたら危うい状態だった。

「当たり前です。せっかく日吉先輩を倒せるチャンスですから」

「俺を倒す……?」

その言葉があまりにらしくなくて、俺は戸惑った。

「はい。俺、上を倒してのし上がるの好きですから」

雫が滴る前髪をが掻き上げる。

「日吉先輩でいう下剋上ってやつですよ」と続けて、口角を少しだけ上げた。

俺は瞬きを忘れてを見つめた。

いつもと変わりない姿に見えるけれど、まるで昔の俺を見ているような気分になった。

その無機質な表情の奥に、秘めていた闘志が垣間見える。

結局俺は何も分かっていなかった。

俺はいつも「下剋上だ」と言い放ち、それを有言実行する為に励んでいた。

何も語らないもまた同じだったのだ。

ただ、不言実行だったということだけで。

「ま、日吉先輩のことは尊敬しているので簡単に下剋上してもつまらないですしね。

 倒すのはまたの機会にしておきますよ」

「簡単に下剋上出来ると思うなよ。せいぜい精進するんだな」

手を差し出すとの手がそこに重なった。

「日吉先輩も追い付かれないようにせいぜい精進して下さいね」

アイツの本心を知った以上、もう心配することはなかった。

になら安心して部長の座を譲れる。

もう気にする必要はない。

それなのに今までよりずっとアイツのことが気になっている自分がそこにいた。

握手を交わした手を見つめる。

掴まれたのは手の筈なのに、心臓の辺りを鷲掴みにされた気分だ。

「日吉、俺達も早く部室戻ろ! 風邪引いちゃうよ!」

「長太郎」

「ん? 雨でよく聞こえないんだけど!」

不本意だけど、お前の望み通りになったかもしれない。

「俺、のこと……」

「え、何ー?」

の無機質な顔と一瞬だけ見せた不敵な笑みを思い出す。

「……いや。なんでもない」

俺もを真似してみようか。

不言実行。





























































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